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【35億円詐欺被害も】ロック界のカリスマ・矢沢永吉の「半生とお金」 二度にわたるスタッフの“金銭的な裏切り”を乗り越えて

1978年、「長者番付」にランクインした当時の矢沢永吉

1978年、「長者番付」にランクインした当時の矢沢永吉

巨額の詐欺被害に遭ったにもかかわらず、一銭も戻らず

 長者番付の常連となった矢沢は、信頼を寄せていたスタッフから二度の“金銭的な裏切り”を受けている。一度目はシングル『YES MY LOVE』をヒットさせた1982年に起こった。

「当時のマネージャーがギャラをピン跳ねして、私腹を肥やしていたことを矢沢自ら突き止め、解雇しています。このことは7年後に初めて告白し、公になりました。長年、一緒に歩んできたマネージャーでしたから、本人の衝撃も大きかったでしょう。

 この事件は、地方のイベンターが本人宛に直接手紙を送って発覚しています。矢沢が聞いているギャラとイベント会社に提示されたギャラの額が全然違っていた。マネージャーはその差額を懐に入れていたのです」(前出・音楽関係者)

 大手事務所と異なり、個人事務所はスタッフの数が少ないため、監視の目が行き届きにくい。マネージャーが嘘をついても、タレント本人はわかりづらい面もある。そうしたデメリットを突かれた格好となった。もう1つの事件は1998年に発覚した。

「世界進出を目指していた矢沢は1987年、オーストラリアのゴールドコーストに音楽学校やレコーディングスタジオなどの入る24階建てのビルを作ろうと計画し、そのために会社も設立しました。しかし、現地法人の責任者が精巧な書類を作成して矢沢を騙してサインをさせた上で、約35億円もの金を横領していた。矢沢の事務所の経理部長も加担していました」(前出・音楽関係者)

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