別のある教員は、2回目以降の授業に出席しなかった学生になぜか「A+」の最良成績を付け間違えました。その後ミスに気づいたこの教員はどうしたか。事務職員に駆け寄り、「これ、なんとか修正できる? なんとかなる?」と迫ったそうです。
誤りを認めると権威が失墜するとでもお思いなのかもしれませんが、尊敬されている先生は無謬だから尊敬されているのではありません。
学生と話していると、彼らが尊敬する大学教員には傾向があります。失敗を認めないとか、他人のせいにしない。既成事実を揉み消そうとか、なかったことにしようなどと往生際の悪いことはしない。真摯に受け止め、ジタバタせず、黙ってリトライする。その、人知れず努力する姿勢に、学生たちは感銘を受けるのです。
全知全能の神ではないのですから、どれほど権威があっても無謬なんてことはあり得ない。そんなことは学生も重々承知しています。しかし、大学教員は決して詫びない人が実に多いのです。彼らは反省しません、頑なに。絶対に非を認めないのです。
なぜか。家の中だと勘違いしているからです。自分の思い通りにできると誤解しているからです。
大学教員は変わり者だとよくいわれます。たしかに、ある分野に没頭し、そのことに人生の全てを賭けている人は変わり者でしょう。それでこそ研究者。研究は世間ズレの免罪符です。しかし、変わり者と愚か者は違います。
お坊ちゃんは大きな家のなかに豪華な子ども部屋を持っているものです。大学教員の多くは個室の研究室が与えられていますから、一般のビジネスパーソンのように、すぐ隣に他人がいる状況で仕事をするだとか、自分のリズムやペースと無関係に電話が鳴るだとかいう状況が想像できません。許容できません。全て自分の思い通りにならないと嫌なのです。だから、お坊ちゃんなのです。
※『ファスト・カレッジ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
高部大問(たかべ・だいもん)/1986年、淡路島生まれ。慶應義塾大学、中国留学を経てリクルートに就職。その後、多摩大学の事務職員に転身。1年間の育休経験も踏まえ、教育現場のリアルを執筆・講演活動などで発信している。著書『ドリーム・ハラスメント』(イースト・プレス)は新聞・雑誌・ラジオ・TVで幅広く取り上げられ、海外版も刊行された。