満開の桜に見送られ、新たな道へ一歩を踏み出す「門出の季節」。多くの人が思い浮かべるのは導いてくれた恩師の存在だろう。教育を取り巻く状況が大きく変わるいまだからこそ、厳しくも愛ある教えを受けた話に耳を傾けたい。作家・新井素子さん(63才)が、恩師との思い出について振り返る──。
「私が生涯で恩師と呼べるのは、国語の齋藤先生ただひとり。中学校の職員室で、しょっちゅう“口論”していました」
高校在学中、17才で作家デビューした新井さんの中学時代は小説家としての“自分の文体”を確立すべく、ひたすら文章を書き続ける日々。そこに立ちはだかったのが、齋藤先生だった。
「30代後半~40代くらいの男の先生で、私が図書委員として書いていた会報をチェックしては、『副詞はひらがなで書くのが原則です。“殆(ほとん)ど”と漢字を使うのはいけない』とか『文章の途中で急に“。”が入るのはおかしい』など、かなり細かい注意が入る。
小説家になりたくて、自分の文体を作っていた真っ最中だったから、それが普段の文章にも出てしまっていたんです。確かに学習指導要領に基づいた国語表現に照らし合わせれば間違っているけれど、自分なりの言い分もあったから、『辞書に掲載されている』と反論すると、それに“再反論”を被せてくる。
さらに食い下がると、またもや言い返されて……。先生を納得させるために、必死で日本語について調べては、職員室に通う日々でした」(新井さん・以下同)