2社のトップを兼務する体制になり“裸の王様”に
ただ、変化が急であった分、負の影響も残しました。技術部門では存在感のある日本人のリーダーが育ったものの、法務、財務、人事、事業運営といった分野では、日本人のリーダーは日本に関わる仕事が主となり、グローバルレベルで存在感があるリーダーの登用が進みませんでした。
管理部門では、全体の責任者が欧米人主体になった結果、日本に関する業務はその下で日本人スタッフが担当するような体制が常態化した。これがゴーンの不正をはびこらせ、日本人社員に不満を抱かせる一因にもなったと思います。
2005年にルノーのCEOにも就任したゴーンは、2社のトップを兼務する体制となり、丁寧に社内の声を聞く姿勢を保てなくなりました。現場から遊離し、結果として側近中心の、いわゆる裸の王様になっていくのです。
私は、部門・機能を問わず、存在感のあるリーダーのなかに日本人がいてほしいと考え、2017年に社長に就任して以降、なるべく様々な人を登用する努力を重ねたつもりです。さらに制度的にも、外国出身者と日本人の人事待遇をオープンにしていくつもりはあったのですが、その前に事件が起きてしまったのです。
「ゴーン改革」と称していますが、最も優れていたのは、トップの個性にも増してそのチームの構成だったと思います。ルノーは非常に保守的な会社ですが、ルノーから来た気鋭の若手たちは「いかに日産を復活させるか」に集中し、日産の立場に立ってくれた。親会社風を吹かせることがありませんでした。だから日産も萎縮せずに思い切った改革案を出すことができたのです。ゴーン改革が伝えるリーダー像の学びがあるとすれば、拙著でも「エンパシー」という言葉で示した「相手の立場を理解しようとする姿勢」の大切さではないでしょうか。
2016年に日産が三菱自動車工業に資本参加して以降、日産の役員として三菱側と向き合った関さん(関潤氏。2019年に日産を退社、現在は鴻海精密工業の最高戦略責任者)やグプタさん(アシュワニ・グプタ氏。2023年に日産を退社、現在はインドの新興財閥アダニグループの中核会社のCEO)といった若きリーダーは、三菱側に自然と溶け込み、強い信頼を得て活躍しました。その次の世代も着実に育っています。彼らの活躍を通じて、日産の経験が今後も様々な場で生きることを願います。
(了。前編から読む)
※週刊ポスト2024年5月31日号