元日産会長のカルロス・ゴーン被告が特別背任容疑などで逮捕されてから早5年。ゴーン被告がレバノンへと国外逃亡したため公判は開かれておらず、真相解明の機会が閉ざされるなか、事件当時、社長として社内外の対応にあたった西川廣人氏(70)が初の自伝『わたしと日産』(講談社刊)を刊行した。
「ゴーン下ろし」のクーデター首謀者と見なされ、後に自らにも不正疑惑が向けられて同社を去った西川氏は、あの時に何を目撃し、いま何を思うのか。ゴーン事件の舞台裏と日産の興亡を初めて明かした。【前後編の前編。後編を読む】
「日産の陰謀」説の裏付けに利用された
当時はゴーンの登場から20年近くが過ぎ、改革当初のゴーン経営スタイルに比べ、やや現場感覚が薄れてきた時期でした。ルノーとの機能統合など、やや形に走った強引さが目立ち始めていました。
〈2018年11月から12月にかけて、東京地検は報酬の過少申告や不正支出による特別背任容疑などでゴーン被告を逮捕。直後から、「日産社内のクーデター」という見方が海外を中心に広がった。日本でも「事件は日産の陰謀」「西川は首謀者」とする見方がその後も人々の記憶に残った〉
改革を積極的に推進してきた中堅幹部層の間でも、ゴーン経営に対して、あるいは当時のゴーン会長に対して不満が強まった時期でもありました。ですから、ゴーンの不正発覚、逮捕という事案が起きれば、背後にそうした日本人の不満を反映した動きがあるのでは、と見られやすい状況であったとは言えると思います。
また、不正発覚の直後から社内の一部で「ゴーンと西川は対立している」という見方が喧伝されました。その言説はゴーンが主張する「日産の陰謀」説の裏付けにまんまと利用されたように思います。
ゴーン元会長による不正は否定のしようがない明らかな事実です。ただ、ゴーンと私の間には対立関係はなかった。むしろ当時の私は、日産にとってゴーンのリーダーシップはまだまだ必要で、次の成長路線の確立には、彼の「まとめる力」が不可欠と考えていました。
数々の不正行為や、その一部が刑事責任を問われる事態に直面し、前代未聞の現職会長の解任へ進まざるを得なかったということで、決してクーデターではないのです。