「あまりの憤りと憎悪で、このままでは母を殺めてしまうと思いました」。そう母への葛藤を振り返るのは、著書『母を捨てるということ』がある総合内科専門医、法務省矯正局医師のおおたわ史絵さん。知性派タレントとしても活躍する彼女だが、その半生は壮絶だった。(特集「家族を捨てる」全文を読む)
おおたわさんは医師の父と看護師の母の間に生まれた。父の2番目の妻だった母は、娘をエリートとして育て上げるため教育に力を入れ、彼女が幼い頃からピアノやバイオリン、英会話などの英才教育を施した。
だが習いごとの成果が出ないと、激高して身の回りの物を投げつけるのは日常茶飯事で、「手を出しなさい! お灸をすえるから!」とたばこの火を押し付けようとすることも。母が爆発するたびにおおたわさんは「ごめんなさい。ゆるして」と泣いて謝った。
それでいて自立を嫌い、「バレエが習いたい」と言えば、「太っているから似合わないよ」と娘の心を傷つけるような言い方で反対。小学校高学年になりおしゃれを意識したおおたわさんが髪形を整えると、「こんなのお前らしくない」とはさみで前髪をザクザクと切り直した。
中学生の頃、神様がひとつだけ願いを叶えてくれるとしたら何を願うか──友人に聞かれたおおたわさんはこう真剣に答えた。
「心から安心できる場所がひとつ欲しい」
問題を複雑にしたのが母の「薬物依存」だった。
「私が思春期の頃から深刻化していきました。もともとは腹膜炎の痛みを和らげるため医師である父から鎮痛剤の注射を受けていましたが、使っているうちにどんどん依存し、薬物が手に入らないと暴力を振るうようになりました」(おおたわさん・以下同)