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「その日、私は母を捨てました」医師・タレントおおたわ史絵さんが振り返る“母と過ごした苦難の日々” 母の孤独死の後も続く葛藤

「家族代行サービス」の相談は3年で5倍に

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「その日、私は母を捨てました」

 2004年に父が他界すると母は娘に依存するようになった。頻繁に電話をかけてきて、対応せずにいると「転んだ」などと嘘をついて何度も救急車を呼び、「娘が夫の遺産を全部奪い取った」と事実無根の話を親戚中に触れ回る。

 母の言動に大きなストレスを感じていたとき、疲労が限界に達したおおたわさんは、「ねえ私のお金ちょうだい」という母の一言に堪忍袋の緒が切れた。

「いい加減にして!」と怒鳴り、書類ケースを母の肩先に叩きつけた。ふらふらとよろける母の姿に、娘は激しく動揺した。

「このままでは母を殺めてしまうと思いました。自分が壊れそうで、憤りと憎悪で母を傷つける寸前でした。それならば心を鬼にして、母から目を背けようと決めました。何をされても何を言われても、徹底的に知らぬふりをしよう……。その日、私は母を捨てました」

 以降、母の前では透明人間になり、すれ違っても誰もいないかのように振る舞った。嫌みを言われても聞こえないふりをして、着信も無視し続けた。

「母からの電話を無視して、なるべく顔を合わさないようにするのは並々ならぬ精神力が必要でした。でも、あのときの私にはその方法しか見つかりませんでした。母は極度の“かまってちゃん”だから怒ったり問題行動を起こしましたが、諦めがついたのか、年を重ねて体力や気力が衰えたのか徐々に連絡は途絶えていきました」

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