紙幣のデザインが7月3日から、2004年以来20年ぶりに刷新される。五千円札の「新たな顔」となるのは、津田梅子だ。名前は知っているけれど、実はどんな人かよく知らない。そんな人のために、津田梅子の足跡を改めて解説するとともに、縁の地を紹介する。
【日本女子高等教育の先駆者】津田梅子(1864~1929)の軌跡
●日本初の女子留学生として渡米
わずか6才でアメリカに渡る。約11年もの長き間、現地で勉学に励んだ。
●24才で再渡米、生物学を専攻
1889年、ブリンマー大学で生物学の研究を深める。日本人女性として初の、欧米の学術雑誌に論文を発表する快挙も。
●女性の高等教育に力を注ぐ
現在の津田塾大学の前身「女子英学塾」を創設。英語教育を重視する。先駆的な女子高等教育機関であった。
津田梅子ゆかりの地を歩く
●三田綱坂(東京・港区)
梅子が渡米するまで暮らしたのが、慶應義塾大学の裏手に位置する三田綱坂下。父は自宅で西洋野菜の栽培を研究していた。
【住所】東京都港区三田2-4-1(都営大江戸線「赤羽橋」駅より徒歩5分)
●象の鼻パーク(横浜港、神奈川・横浜市)
1871年、梅子は「岩倉使節団」に同行し、ここから旅立った。現在、園内には出航の地のパネルが設置、近隣の開港資料館とあわせて訪れたい。
【住所】神奈川県横浜市中区海岸通1丁目(横浜高速鉄道みなとみらい線「日本大通り」駅より徒歩4分)
●旧海岸女学校(東京・中央区)
現在の青山学院の前身にあたり、梅子は1883年に2か月ほど英語を教えていた。この周辺は、築地外国人居留地と呼ばれ、慶應義塾や雙葉学院、女子学院など、多くの学校の発祥地が集中している。
【住所】東京都中央区明石町6-24(東京メトロ「新富町」駅より徒歩5分)
●津田塾大学(東京・小平市)
1900年に梅子が創立した「女子英学塾」が前身で、英文学や国際関係学の分野で活躍する卒業生を多く輩出。敷地内には梅子の墓所もあり、見学も可能(要受付)。
【住所】東京都小平市津田町2-1-1(西武国分寺線「鷹の台」駅より徒歩8分)