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「自分の体が半分なくなるほどの衝撃でした」…2004年に妻を亡くした田原総一朗さんを救ってくれた“娘と仕事”の存在

途方に暮れていた田原総一朗さんを救ってくれたのは“娘と仕事”だったという(写真/共同通信社)

途方に暮れていた田原総一朗さんを救ってくれたのは“娘と仕事”だったという(写真/共同通信社)

 多くの男性は、連れ添うパートナーが先立つことを想像だにしないだろう。「まさか俺より先に逝くとは」──妻を亡くした男性は、口を揃えてそう言う。90歳を迎えた今もテレビで活躍するジャーナリスト・田原総一朗さん(90)も、妻に先立たれた男性の1人だ。田原さんは喪失の悲しみをどのように乗り越えているのか。

 * * *
 1983年に前妻を乳がんで亡くし、1989年に節子(享年68)と再婚しました。

 僕の事務所の代表を務めた女房には、仕事を受けるかどうかの判断から講演会主催者との打ち合わせまですべて任せていました。彼女は僕が本音で相談することができる唯一の“同志”でした。それだけに女房が乳がんと診断され、余命宣告を受けた時はショックでしたね。

 5年と数か月続いた闘病生活では時間が許す限り看病して、着替えを手伝い、入浴時に僕が彼女を抱っこして洗ってあげることもあった。頼ってばかりだった男が少しでも頼られることが嬉しかったのです。それでも女房が2004年に亡くなった時は、自分の体が半分なくなるほどの衝撃で、「もう死ぬしかない」と思いました。

 平均寿命からいっても僕のほうが先に死ぬと思っていたから、女房に先立たれるなんて想定外で、これからどうやって生きていこうかと途方に暮れました。彼女の遺骨を手放せず、死後3年も自分のデスクの上に置き続けました。

 失意にくれた僕の救いになったのは娘です。預金通帳や印鑑などの置き場は一切知りませんでしたが、生前に女房が近くに暮らす娘に仕事やお金の管理について伝えてくれていたのです。

 仕事も大きかった。仕事がなかったら僕はとっくに死んでいただろうけど、ありがたいことに90歳になったいまも現役です。できれば『朝まで生テレビ!』の本番中にぽっくり逝きたいものです。

【プロフィール】
田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。1987年より『朝まで生テレビ!』司会を務める。

※週刊ポスト2024年8月16・23日号

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