時価総額5兆円超の巨大企業であるセブン&アイHDが、カナダのコンビニ大手から買収提案を受けたとの一報は、多くの日本人に衝撃を与えた。急激に進む円安などを背景に、日本企業はかつてないほどに“割安”と見られているのだ。では、次に海外企業から狙われる可能性があるのは、どの企業か。小売・鉄鋼・自動車・通信・医薬品・電機の「業界別危険度ランキング」を紹介する──。
海外企業が触手を伸ばす理由は円安だけではない
〈セブン&アイに買収提案 カナダ同業から 社外取が精査〉──8月20日付の日経新聞朝刊は一面で大見出しを打ち、カナダの巨大企業アリマンタシォン・クシュタールが買収提案に動いたことを報じた。
実現すれば海外企業による日本企業の買収として過去最大級となる見通しであるだけに、多くの日本人を驚かせた。
しかし、百年コンサルティング代表で経済評論家の鈴木貴博氏は、「何ら不思議なことではありません」としてこう語る。
「売上高や店舗数はセブン&アイのほうが多いが、時価総額はアリマンタシォンが8兆円弱と大きく上回ります。セブン&アイが強みとする食分野を取り込むことがアリマンタシォンの狙いと見られますが、円安の進行で海外企業にとっては稼ぐ力のある日本の大企業を“バーゲン価格”で買える状況が生まれています」
海外企業が触手を伸ばす理由は円安だけではない。企業の敵対的買収対策などを行なう「QuestHub」社の社長CEO・大熊将八氏が語る。
「昨年8月に経済産業省は『企業買収における行動指針』を発表。“同意なき買収”も真摯に検討するよう求めるガイドラインが策定されました。金融庁の要請などで日本企業同士の株の持ち合いの解消も進み、日本でのM&Aのハードルが下がった。円安に加えての環境変化により、外資の事業会社やファンドは“日本が一番儲かる市場だ”と動き始めました」
この流れはさらに加速していくと大熊氏は見る。
「セブン&アイの例でも明らかなように、経済安全保障の観点で保護される業界を除けば、どんなに大きな会社でも買収されておかしくない。今後も同様の買収提案が次々と出てくるでしょう」
M&Aの判断に用いられる「EV/EBITDA倍率」
そこで注目したいのが、M&Aの判断に際しても用いられる「EV/EBITDA倍率」という指標である。
これは「EV(企業価値、一般的に「時価総額+有利子負債-現預金」で算出)」が、「EBITDA(収益力、一般的に「営業利益+減価償却費+のれん償却費」で算出)」の何倍あるかを示すもので、M&Aの世界では「買収に使った資金を何年で回収できるか」の目安として使われる。
買収に必要な金額(企業価値)が1兆円でその企業が1年に1000億円を稼ぐなら、「EV/EBITDA」は10倍で買収資金は10年で回収できる計算になるわけだ。
「もちろんこの指標だけで買収されるかが決まるわけではありませんが、買収する側はこの倍率が低いほど資金回収がしやすく、同業種でなるべく倍率の低い企業を買収したほうが経済合理性は高まる。M&Aの際の重要な参考指標です。そして、日本企業はこの指標が低いという現実がある。多くは“どうせ買われないだろう”というマーケットの共通認識により株価が割安のままになっているケースです」(大熊氏)
買収提案を受けたセブン&アイの「EV/EBITDA倍率」が8.0倍なのに対し、提案したアリマンタシォンは約12倍と大きな差がある。買収して8年で元が取れるなら“お買い得”という考え方にもなる。
「セブン&アイはコンビニ事業で収益力があり、成長の余地がまだあると見込まれる一方、スーパー事業の整理などが進まず株式市場で評価されないために『EV/EBITDA倍率』が低いと考えられます」(鈴木氏)
世界的コンサルティングファーム「KPMG FAS」社は、日米中の代表的な企業を6セクターに分け、各国の「EV/EBITDA倍率」の平均値を算出して比較している。それを見ると「消費財・小売」「自動車・耐久消費財」をはじめ各セクターで日本企業は軒並み低い数字となっており、“お買い得”であることが窺える。
週刊ポストは、企業分析情報を提供するバフェット・コードの協力のもと、各業界大手の「EV/EBITDA倍率」を比較し、ランキング化した。
小売業界
まずはセブン&アイを含む小売業界。市場分類における小売業は幅広く、コンビニやスーパーだけでなく、アパレルや家電量販店などを含む。同業界の大手を見渡すと、ヤマダHDがセブン&アイよりわずかに低い7.7倍。米中の同業平均はもちろん、日本の平均(12倍)も下回る。
経済ジャーナリストの有森隆氏が言う。
「住宅事業などに課題があるため市場での評価は他の小売より低くなっているが、今後成長が見込まれるインドネシアをはじめ、東南アジアへの海外展開を積極的に進めている。将来的な収益への期待は大きい」
ヤマダHDに買収を受ける可能性やその対策についての考えを聞くと「お答え致しかねます」(広報課)とした。
対照的にユニクロを展開するファーストリテイリングは20倍超と米国の同業界平均より高く、「こうした水準になれば容易には買収されない」と大熊氏は言う。
鉄鋼業界
日本製鉄がUSスチールへの買収提案で注目を集めるが、それが逆に“日本企業が買われる”流れにつながる可能性もあるという。大熊氏が言う。
「国の基幹産業である以上、買収がブロックされる可能性があるわけですが、今後は、日本企業が海外で買収を進めているのに逆に提案されるのはNG、という理屈は外交上も通りにくい」
鉄鋼大手3社では神戸製鋼所が4.9倍と最も低いが、JFEHDが5.4倍、日本製鉄が6.0倍といずれも米中の業界平均を下回る水準だ。多摩大学特別招聘教授の真壁昭夫氏が分析する。
「近年、神戸製鋼所をはじめとする国内の鉄鋼メーカーは高炉休止などによりコストを圧縮するなどの改革を行なっている。その一方で、世界最大の『宝武鉄鋼集団』ら中国の過剰な生産競争の激化によって鉄鋼価格の下押し圧力が懸念材料となっている」
神戸製鋼所に買収の対策について聞くと、「企業価値の向上が重要と考えており、弊社では収益性向上、成長率向上、資本コスト低減の3軸に取り組んでいます」(秘書広報グループ)とした。
自動車業界
販売台数などでは世界トップを走るが、「EV/EBITDA倍率」の業界平均では日本の9.2倍に対し、中国が11.7倍、米国は19倍という開きがある。個別で見てもトヨタの9.6倍は、米テスラの54.9倍に遠く及ばない。前出・鈴木氏が語る。
「電気自動車一辺倒の米中勢に対し、日本はトヨタ中心にハイブリッド車や燃料電池車など多面展開している。それゆえ現状の稼ぐ力はありますが、それでも数値が米国より軒並み低いのは、SDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)というソフトウェアで運転性能を向上させる技術で出遅れていて市場の評価が上がらないことが大きいのでは。技術力による巻き返しの可能性があるとはいえ、課題が残ります」
一方、ランキングではマツダの数値が最も低かったものの、「マツダはトヨタが大株主であり、そう簡単に他社からの買収提案が通るとは考えにくい」(前出・鈴木氏)といった事情もありそうだ。
マツダに買収を受ける可能性やその対策についての考えを聞くと「回答は控えさせていただきます」(コーポレートコミュニケーション本部)とした。
通信業界
通信を含むセクターでも日本の業界平均は米国より低い。NTTドコモを完全子会社化したNTTの3.8倍が最も低い数値だ。前出・有森氏はこう見る。
「NTTは将来的に世界標準を握るネットワーク技術基盤の切り札として『IOWN構想』を掲げますが、ライバルはGAFAMのような米巨大IT企業。その将来が見通せないと、世界水準の企業価値にならない。ただ、通信は経済安全保障上、保護されるので買収の可能性は低いでしょう」
NTTはこう回答した。
「現行のNTT法においては、3分の1以上の議決権を外国法人などが保有することを禁止されています。当社は、持続的な企業価値を高めるため、成長分野への積極的な投資拡大、および既存事業分野における効率化などを推進することにより、グループの業績を向上させます。『EV/EBITDA倍率」』は他ソースではもう少し高い数値も見受けられる理解ですので合わせて申し伝えさせてください」(広報部門報道担当)
医薬品業界
新薬の開発競争などでしのぎを削る医薬品業界の「EV/EBITDA倍率」は米国の平均18倍と比較しても、16.4倍の武田薬品工業や16.9倍のエーザイは引けをとらない。前出・真壁氏が分析する。
「武田薬品は大手製薬メジャーの一角に入り込もうとアイルランドのシャイアーを買収した一方、アリナミンなどの大衆薬事業を売却するなど成長戦略の効果が出て市場の評価が高い。エーザイも認知症治療薬のレカネマブが米国で承認されるなど成果が出ています。対照的に大塚HDは、認知症関連薬の開発中止で減損損失を計上するなどしたため、現在は他社よりも評価が低迷しているのではないか」
大塚HDは対策について次のように回答した。
「上場企業として、あらゆる可能性は想定している。大塚グループは『企業価値の最大化』も重要な経営課題のひとつとして、継続的に取り組んでおり、また第4次中期経営戦略(2024~2028年度)では『独自の事業基盤への更なる投資』『Well-beingにつながる新たな価値創造』『持続的成長を支える積極的な財務戦略』を掲げている」(広報部)
電機業界
すでにシャープが鴻海に買収されている。米中の同業界平均と比べても数値が低い企業が目立つが、前出・大熊氏はこう見る。
「電機各社は総合電機メーカーとして数多くの事業を抱える『コングロマリット状態』にあるため、外資を含む競合企業にとっては“ノンコア事業も含めた丸ごとは買いたくない”という心理が働き、以前は買収対象となりにくい側面があった。
しかし、今後はアクティビストがノンコア事業を売却させたり、買収ファンドが丸ごと企業を買収してから事業単位で事業会社に売却するといった連携を行なったりすることでコングロマリット企業を買う事例が増えていく可能性は高いでしょう」
親子上場の解消など国内グループ企業の再編をいち早く進めながら積極的に海外展開を進める日立製作所は12.5倍と高い数値になる一方、「多くの事業を抱えていて収益性を損なっている」(前出・有森氏)とされるパナソニックHDは4.0倍と業界大手で最も低い数値だった。
パナソニックHDは将来、買収提案を受ける可能性などについて「仮定の話については回答できない」(GR広報)とした。
日本企業はこれからも世界の“草刈り場”となるのか、本来の技術力で企業価値を向上させて脅威に立ち向かえるのか。正念場に立たされている。
【※日本企業の「EV/EBITDA倍率」は、企業分析SaaS「バフェット・コード」(コンセンサス予想ベース)より。外資系企業は「Yahoo!ファイナンス」のデータも参照した(9月2日時点)。各セクターの日米中の「EV/EBITDA倍率」は「KPMG FAS」社から提供。「電機」は複数のセクターにまたがるため、3つのセクターの「EV/EBITDA倍率」を表示。「営業利益」は直近の通期(2024年3月期、2023年12月期など)実績。「時価総額」と為替レートは、9月3日終値ベースで換算した】
※週刊ポスト2024年9月20・27日号