さて、一服つけようか。
昨今、のんびりタバコを吸える店が激減していて、ときどき、困ることがある。かつては気がつくと新しいタバコに火をつけているような時期もあったが、昨今、タバコはそれほど吸わない。ただ、やめたわけでもないし、やめるつもりは毛頭ない。ただ、吸いたいときに吸えないと、不本意なのである。
そこへ行くとこの店では、松林さんは心得ていて、私の前に灰皿を出してくれる。それだけのことが嬉しいというのもやや哀しいが、実際、嬉しいのだ。タバコを吸いたいと言うと灰皿を渡されて外で吸ってこいと言われるくらい味気ないものはない。
だから、ここでは、威勢よく煙を吸い、吐く。この日の私のタバコはハイライトだった。このパッケージの色、空色というのだろうか。私の中学時代の親友は、後年、タバコを吸うようになったとき、ハイライトを好んで吸った。そして、なぜハイライトなのかという私の問いに対して、パッケージの色がすばらしいのだと、矢沢永吉の真似をしながら言ったものだ。
「スカイブルーです、わかりますか? スカイブルー」
文字で書いても伝わらないが、彼のエーちゃんは絶妙だった。ハイライトを吸うとき、最近、彼のことが頭をよぎることがたびたびある。これも年齢のせいだろう。アイツ、元気にしているだろうか。
隣で飲んでる“酒友ケンちゃん”は、サンボアのハイボールにいささか興奮気味である。もともと酒が強いから、スイスイっと飲んでお代わりお願いします! なんてやっている。
いいねえ。サンボアのハイボールは、そういう飲み方が合うと、私は思っている。
堂島のサンボアでの貴重な経験
今から25年くらい前、バーを訪ねては記事を書くという仕事に誘われた。サントリーの『ウイスキーヴォイス』という雑誌だった。私はそれまでバーのなんたるかをまるで知らず、飲むと言えばビールと焼酎、場所は居酒屋と決まっていたから、最初の頃、バーの雰囲気には戸惑った。
そんなとき、大阪の取材で目が開かれた。行ったのは北新地の近く、堂島の「サンボア」だった。カウンターは全席スタンディング。古びているのにピカピカに輝いている。空気はピンと張っているのに、交わされるのは大阪弁の柔らかく、穏やかな言葉だった。
私はまだ35歳くらいで、次々に店に来る客は、40代、50代、いや、今の私と同じく還暦過ぎのベテランもいらっしゃったと思う。
みなさん、気さくなのだ。話しているのは、今日は冷えるなとか、忙しかったわとか、あれじゃ、なんぼなんでもあかんわ、とか、内容はよくわからないが、東京のオーセンティックバーのように気取った人はいない。
そしてみなさん、とても濃いめのハイボールを、かなりの勢いで飲む。ほんの30分か40分かの間に、3杯飲むようなお父さんがいる。
「ほな、いくわ」と言って、金を払い、ちゃっちゃと帰る。そのキレのよさに痺れると同時に、ああ、バーってのは、いいところだなと思ったのです。
好きな時間に行って、好きな杯数だけ飲んで、次の予定があればさっさと引き上げる。店も客も、それで関係が保たれている。大袈裟なエピソードも、おもしろくない身の上話も、本来、バーでは必要がない。そんなことを私は、「堂島サンボア」のカウンターで記憶にとどめたのかもしれない。