習近平も毛沢東もマルクスをうまく利用
峯村:さらに毛沢東のパーソナリティを理解するのに非常に重要なのが、彼の生まれた1893年という時代背景です。列強による外圧にさらされて清朝が滅亡寸前となる姿を、毛沢東は物心ついた時から目の当たりにしている。迫りくる列強に立ち向かうには国がひとつにまとまって対抗していかなければならない、という危機意識を肌で感じていたようです。
当時としては比較的裕福な家庭に育ちながら、悶々と過ごすなかで、バラバラになった中国を赤化(共産化)しようとソ連がやってきた。毛沢東は自分が権力を奪取するのに「共産主義は便利だから使っておこうか」くらいに思ったのではないでしょうか。
橋爪:それは大事な点です。マルクス主義が都合がいいのは、社会を「階級闘争」と捉える点です。ならば、闘うのは正しい。毛沢東にぴったりです。でもマルクスの考えは『共産党宣言』から『資本論』に発展していく。ロシアではレーニンが出てきて「マルクス・レーニン主義」になり、それをスターリンが継承した。ロシア革命直後に「共産主義インターナショナル(コミンテルン)」ができ、世界同時革命を目指した。各国にオルグ(組織者)を派遣して、その支部をつくった。中国でも目ぼしい知識人に声をかけて資金を出し、コミンテルンの中国支部を1921年に設立した。これが中国共産党です。
毛沢東は、そうしてできた中国共産党のなかでも、出遅れていました。初期のリーダーには李大釗がいて、陳独秀がいた。留学帰りの周恩来がいて、鄧小平がいた。毛沢東は、結成大会13名の参加者のなかでも、末席のほうです。西洋の学問をちゃんと学んだこともなく、留学もしていない。これを逆転するには、手練手管も運も必要だが、悪だくみも必要だった。
峯村:そもそも毛沢東はマルクスやエンゲルスの著作を通読していたのでしょうか。
橋爪:まともに読んでないです。レーニンやスターリンの著作はパラパラめくったかもしれないが、学力が全然足りない。むしろ毛沢東は、『水滸伝』みたいな英雄が活躍する中国古典や、権謀術数が渦巻く宮廷内の政治闘争を描いた歴史物語が大好きだった。共産主義の「闘争」「革命運動」は、理想社会を実現するための「手段」です。でも毛沢東は、むしろこれを「目的」みたいにしてしまった。
国共内戦(1927~1937年)で共産党軍が本拠地から大移動して逃れた「長征」は、毛沢東が権力を固める舞台になった。この苦難の行軍で、党員たちは酷い目にあった。都会育ちのインテリは途中で落伍しただろう。忍耐力のある毛沢東や農民兵は、最後まで生き延びた。毛沢東は、共産主義を利用する方法をよく知っていた。インテリの理屈っぽい共産主義者と違って、自分は共産党で革命をやりとげるんだという自負が強かったと思います。
峯村:毛沢東が「ファイター」としての自分を正当化するために、マルクスの暴力革命論をうまく利用して生き残りの手段としたという点は、現在の習近平をみるうえでも重要です。
習近平は2018年に突如、「マルクス生誕200年」を祝う式典を北京で開きました。「なぜ?」と思っていたら、その後しばらくして「習近平思想は21世紀のマルクス思想である」と謳い、「自分こそがマルクスの再来である」というようなアピールを始めたんです。当時、党序列5位だった王滬寧にも「『習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想』は21世紀のマルクス主義である」と発言させています。
党の政治報告のなかにも盛り込まれましたが、マルクスの権威を使って「これが中国独自の社会主義だ」と、現下の政治体制について思想的に生命力をもたせたと考えると、毛沢東も習近平もマルクスをうまく利用しています。
(シリーズ続く)
※『あぶない中国共産党』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)/1948年、神奈川県生まれ。社会学者。大学院大学至善館特命教授。著書に『おどろきの中国』(共著、講談社現代新書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)、『中国共産党帝国とウイグル』『一神教と戦争』(ともに共著、集英社新書)、『隣りのチャイナ』(夏目書房)、『火を吹く朝鮮半島』(SB新書)など。
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年、長野県生まれ。ジャーナリスト。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。北海道大学公共政策学研究センター上席研究員。朝日新聞で北京特派員を6年間務め、「胡錦濤完全引退」をスクープ。著書に『十三億分の一の男』(小学館)、『台湾有事と日本の危機』(PHP新書)など。