昼から飲む姿は周囲からどう見えるのか
女性おひとりのお客さんの姿もチラホラある。ご近所にお勤めの方々だろう。銀座におけるランチの選択肢はかなり広いと思われるが、こういう、ふつうの、ちゃんとした、そして、文句なしにおいしいご飯は、そう簡単に見つかるものではないかもしれない。
忙しい毎日。朝食も簡易的にならざるを得ないからこそ、お昼はしっかりおいしいものを食べたい。そんな思いでこの店の暖簾を潜るのではないか。
いい光景だと思い、彼女たちを見て嬉しくなるのだが、あちらから見た場合、私はどう映るのだろう。
昼からビールを飲み、鳥豆腐をズルズルとうまそうに啜る姿は、さもしく見えたりはしないだろうか。それとも、あのお父っつぁん、楽しそうに昼飯を喰ってるねと、微笑ましく見えているだろうか。
ガラにもなく、ふとそんなことが気になったのは、実は目の前の鳥豆腐がこの日最初の食事であって、体調的には、前夜の深酒がたたってやや弱っていたからなのだ。どこぞの店で大酒飲んで喧々諤々何事か言い募り、みたいなことは、昨今ほとんどやらない。ただ、深夜、仕事を終えた後で、何をするでもなくぼんやりと飲むうちに気がつけば明け方近くになっているようなことが、増えているのだ。昨晩もそうだった。その結果として、昼前まで寝ていたわけで、昼過ぎに銀座へ到着したとき、いささか言葉は大袈裟になるけれど、軽い飢餓状態にあったと言ってよい。
だから、飲む姿、食べる姿がさもしく映りはしないかと気になった。一方で、適度に腹を空かせている人の、傍から見ても気分のいいくらいの食べ方をしているかもしれぬという、少しばかりの期待もあったのだ。
いずれにしても、昼から飲むのは、イレギュラーなことである。ましてや前夜の酒が抜けきらぬうちの昼酒は、大いにリズムを崩すものであるはずだ。
ところが、これが、うまいのだ。明け方までの深酒の影響を、昼酒が覆い隠すからである。仮に二日酔いの不快感があったとしても、お構いなしに飲む昼酒がそれを吹き飛ばす。だから、うまいと感じるし、酒の1、2杯も飲むうちに体調も心なしか回復してくるようなのだ。多分に、精神的なものであるかもしれないが、気分がよくなるのは良いことだ。これを私は、昼酒の効能のひとつだと考えている。