最初のクルマはトヨタ・パブリカ
「ライセンスを取得したのは21才の時。免許を取得すると父に打ち明けたとき『危ないから止めろ』と大反対でした。当時、運転免許と言えば男性の、それも仕事のために取得するという人が多い時代でした。私も“車が好き”というわけでもありませんでしたが、とにかく運転免許というものが欲しかった」
まだまだ自家用車などを持っている家も珍しい時代、西本さんは車に乗りたいと言うより運転免許が欲しかったわけです。当時は教習車のほとんどがマニュアルミッション車(以下、MT車)であり、現在のようにオートマチックミッション車(AT車)との区別などもありません。
「すべての人がMT車ですから、特別なプレッシャーなどは感じませんでした」
ところが無事に免許を取得できたのですが、ひとつだけ「誤算」があったとも……。
「免許を取ると、今度はクルマに乗りたくなり、どうしても欲しくなる。高価な買い物ですが頑張って赤い『トヨタ・パブリカ800』を買いました。ファミリーカーとしても人気でしたし、可愛らしいスタイルが気に入って免許を取得してすぐに、50万円で購入しました。当時はクルマを運転している女性が珍しかったようで、走っているとけっこう注目されました。そんな人々の驚く顔を見るのもドライブの楽しみでした。一度決めたら、けっこうやり通す性格なんです」
免許取得ありき、で始まり、そしてパブリカを購入した事で西本さんのクルマ生活は本格的に加速していきます。
「自分でハンドルを握って運転し、好きなときに好きなところへ自由に行ける。クルマってこんなに楽しくて素晴らしいものなんだ、と少しずつ感情が高まっていきました。『クルマが好きだったから』と言うよりも、クルマと付き合って行くうちにクルマへの愛情が増していったということかもしれませんね」
パブリカによってクルマ好きへと導かれた西本さん、その後、2年ほどでまたパブリカへと乗り換えていきます。これには当時の“初年度の車検期間は2年”という車検制度も影響しているようです。実は初回車検の有効期間が2年から3年に延長されたのは1983年ですから、西本さんがクルマと付き合い始めてしばらくは初回の車検で乗り換えるという人もけっこういたのです。
「2台のパブリカに乗り楽しさや便利さを知り、色々なクルマにも興味を持ちました。でも結婚して主婦ともなればゆとりのあるクルマが欲しくなり、コロナに乗り換えました。乗りやすくて便利だったのでとっても気に入り、次も、その次もコロナを選びました」
結局のところ西本さんはパブリカ2台、コロナ3台と乗り継ぎ、その後にも「コロナ・クーペ」へと乗り換えています。
「私自身も仕事をしていたとは言え、さすがに子供達もいるということで頻繁に買い換えるわけもいきません。そこで長く乗るなら『カッコいいクーペもいい』ということで選びました」