第二次大戦後、同じ社会主義国でありながら対立を深めた中国とソ連。戦争の一歩手前まで進んだ「中ソ対立」への危機感が、ニクソン米大統領(当時)と毛沢東の電撃的和解(1972年)を推し進める原動力になったと言える。しかし、それは同時に今日の中国をめぐる諸問題の出発点にもなった。中国に関する多数の著作がある社会学者の橋爪大三郎氏と元朝日新聞北京特派員のジャーナリストでキヤノングローバル戦略研究所上席研究員の峯村健司氏が読み解く「米中和解」の歴史的意義とは――(共著『あぶない中国共産党』より一部抜粋、再構成)。【シリーズの第19回。文中一部敬称略】
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橋爪:当時、中ソ対立にもとづいてアメリカの戦略をデザインしたのが、アメリカの国際政治学者、ヘンリー・キッシンジャーです。ニクソン大統領は、それを採用した。ニクソンはとかく評判が悪いのですが、このあたりの感覚は、政治家として鋭かったと思う。だから、安全保障担当の大統領補佐官にキッシンジャーを抜擢できた。
キッシンジャーはいろいろなルートを通じて、中国もアメリカと手を組みたいと考えている、と察知した。ソ連に対抗するためです。そこで超極秘に、中国にアプローチをかけていった。ごく限られた人びとのあいだで相談を進め、1971年、秘密裏に訪中して周恩来と会談して、「ニクソン訪中」を発表する段取りにしたのです。
これは中国にとってどんな意味があったか。アメリカを後ろ盾にしてソ連に対抗できるので、ソ連との戦争を心配しなくてよくなった。それから、帝国主義のアメリカを敵国と考えなくてよくなった。そういう大きなメリットが中国に転がり込んだ。
これが、改革開放と現代中国の出発点です。そして、これを決めたのが毛沢東です。毛沢東でなければ、こんな決定はできない。毛沢東がなぜそんな決定をしたのか。真相はよくわかりませんが、毛沢東は文化大革命をやるような革命的ロマン主義者でありつつ、リアリストでもあったのです。