「橋本君が話すと、みんながその言葉を聞く」
とりわけ「英語を身近でまぁったく使わないあんな“小さな世界”で、早くからたくさんの英単語を知っていた橋本君」を語るとき、前原は、「betweenとamongの違いっていうのはね」とたのしげに説く橋本少年の姿をじつにおかしそうに再現してみせた。
橋本にそのことを聞くと、ある教師との思い出を語った。
「これから英語が世界の公用語のようなものになると言われた。元はイギリス、今はアメリカという圧倒的に力の強い国の言葉をみんなが勉強するのは当然だろう、と。なるほど、と思ったのね」
市内唯一の進学校・人吉高校2年の時、学力トップを競った親友が交換留学でアメリカに向かった。橋本も行きたがったが、経済状態がそれを許さなかった。だがその年、渡米した友と入れ替わるように1人のアメリカ人が留学生としてやってきた。橋本と初めて親しく接したこの男は、名前をウインキー・ホワイトといい、現在は神奈川県横須賀市に日本人の妻と暮らしている。
出身はニューヨークシティから北へ車で4時間、キャッツキル山地を背にした小さな地方都市・オニオンタだ。日本語はからっきしなのに溶け込めたのは、慣れない学ランと制帽に身を包み、はにかんだ顔には栗色のぶしょうヒゲ――そんな憎めない青年を面白がって迎えた生徒たちがいたからだ。その1人が橋本だ。
「懐かしか」と、ウインキーは振り返った。
「橋本君は、はっきりしゃべる人でした。その時は日本語が全然わからんけど、彼の話は“強い”。そんな思い出があります。暴力的というじゃなくて、黙っていた橋本君が“こうしよう”と話すと、みんながその言葉を聞くんですよ」
ウインキーはEFハトンという米証券会社の長年定番のコマーシャルのことを例に出した。騒々しく雑踏を行き交う人々が、ある男が口を開くやいなやシーンと静まり返ってその言葉に耳をそばだてる短い映像の最後、〈When EF Hutton Talks People Listen(ハトン氏が話し始めると皆んなが耳を傾ける)〉というキャッチフレーズが流れる。そんなイメージが橋本と重なるのだという。