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島崎晋「投資の日本史」

財政難のうえに人口減、相次ぐ災害…困窮する米沢藩を立て直した明君・上杉鷹山が生涯持ち続けた「富国安民」の政治姿勢【投資の日本史】

 鷹山が推進した改革は隠居するまでの前期(明和・安永の改革)と天明の飢饉(1782〜1787年)を受けて再開した後期(寛政の改革)からなる。個々の事案につき最終決定をしたのは鷹山だが、多くの場合、立案や実行は竹俣当綱と莅戸善政のどちらかに拠っていた。

 倹約令の発布や農村統制の強化、殖産興業政策、藩校「興譲館」の設立など、鷹山が行なった改革の対象は多岐にわたる。続く後編記事では、米沢に江戸商人の投資を呼び込むために鷹山が行なった工夫や、後世にも影響を及ぼしたリスクマネジメントについて取り上げる。

■後編記事:【為せば成る】勤倹だけでは終わらなかった米沢藩主・上杉鷹山 両替商への「プレゼン」から領民向け「救荒食品の手引書」まで「攻めの藩政改革」の全貌【投資の日本史】

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。

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