現在は「私たち」ではなく「私」の時代
ところで、現在は「私たち」ではなく「私」の時代である。アメリカでは、この40年間で、大衆音楽の歌詞に「We」が使われなくなりつつあるらしい。このように、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授ノリーナ・ハーツは教えてくれたのだが(『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』による)、この事実は、「僕たちはヒーローになれる」(「Heroes」)と歌うデヴィッド・ボウイに熱狂した僕にとってはかなり衝撃的だ。
1977年にクイーンがリリースしたシングル盤には、片面に「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、もう片面には「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」が収録されていた。つまり両面ともにWeの表明だったのに。大体、ロックフェスというのは「私たちWe」を確認する場、コミュニティととらえることも可能だ。そもそも、音楽を聴きたければ、自宅のほうが高音質で聴けるものね。
ところが、テクノロジーの進歩とともに、現在社会にはコミュニティが消え、人々はどんどん孤立する傾向にあり、コロナ禍がこの傾向を加速した。さらに、主流派経済学では、市場原理を最大に活かすことによって、経済成長という結果を実現するという主張がなされている。このような経済学では、人間をそれぞれ別の分離した存在と考えた上で、個々が、自由に合理的にふるまうことを前提としている。主流派経済学のモデルにはコミュニティは入っていないのである。
哲学者のハンナ・アーレントは、コミュニティが崩壊したバラバラの状態で生き続けた人たちは、全体主義のプロパガンダにたやすく反応しやすくなる、と説いた(『全体主義の起源』)。また上に挙げたノリーナ・ハーツの著作によると、孤独な人の脳は、側頭頭頂接合部(共感と最も関わりがある領域)の活性レベルが低下するそうだ。闇バイトへの勧誘に落ちてしまう若者が後を絶たないのは、コミュニティの脆弱化、その背後にある新自由主義的な政策とデジタルテクノロジーの急激な進化が一因しているのでは、と僕は疑っている。
しかし、グローバリゼーションが加速する中、国際政治を俯瞰して見ていると、「私たち」で結びつこうという動きが徐々に高まりつつあるのを感じる。ただしこの傾向には、注意も必要だ。最も注意し、避けなければならないのは、「私たち」を守るために、他者を排除してしまうことである。「私たち」を生きながら、その外とつながるようにすることが大事である。
自律した人格として認めあいながら、自分たちの属するコミュニティのために一緒になにかをしようとすること、アーレントはそれを「複数性plurality」と呼んだ。物理的な利害関係の調整や妥協形成ではなく、自律した人格どうしが言葉を介して向かい、一緒に多元的なものの見方を獲得することを通して、本当の「私たち」が生まれる。つまり、一緒に食事をするだけではたりず、私たちは語り合わなければならないのである。
【プロフィール】
榎本憲男(えのもと・のりお)/1959年和歌山県生まれ。映画会社に勤務後、2010年退社。2011年『見えないほどの遠くの空を』で小説家デビュー。2018年異色の警察小説『巡査長 真行寺弘道』を刊行し、以降シリーズ化(中公文庫)。同作のスピンオフとなる『DASPA 吉良大介』シリーズ(小学館文庫)、『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』(中公文庫)も話題。近刊に『サイケデリック・マウンテン』(早川書房)、『アガラ』(朝日新聞出版)がある。2016年に大藪春彦賞候補となった『エアー2.0』の続編、『エアー3.0』が発売中(いずれも小学館)。