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14年の歴史に幕、NHK『サラメシ』が描いていた、企業のなかの「私たち」が醸成される時間 「私たち」から「私」へと“コミュニティの消失”が進んだ現在地

NHK『サラメシ』のナレーションを務めた中井貴一。軽妙な語り口が人気だった(時事通信フォト)

NHK『サラメシ』のナレーションを務めた中井貴一。軽妙な語り口が人気だった(時事通信フォト)

 3月13日に最終回を迎えたNHKのバラエティ番組『サラメシ』。「働く人のお昼ご飯」に焦点を当て、2011年の放送開始以来、14年続いた。金融とグローバリゼーションを題材にした『エアー3.0』に続き、宗教も国境も戦争もない近未来を描いたSF『アガラ』を2月に上梓した小説家・榎本憲男氏は、同番組を通して見ていたものは「飯そのものではなかった」という。どういうことか。榎本氏が綴る。

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 人気番組『サラメシ』が終わった。いや、本当のことを言うと人気番組だったのかどうかはよく知らない。ただ、ずいぶん長く続いていた番組なので、不人気ではなかったはずだ。毎回熱心に見ていたわけではなかったが、テレビをつけてこの番組が映っているとチャンネルを変えずに見続けていた。

 個人的には、中井貴一のコミカルなアナウンスが気に入っていた。『ふぞろいの林檎たち』(山田太一脚本)に魅了された世代の僕は、中井貴一が演じる仲手川良雄のウジウジした訥弁と、『サラメシ』での弾んだ声が対照的でおかしかった。番組制作者に僕と同世代の人間がいるのだろう、『サラメシ』最終回のラストに中井貴一のナレーションに被せて、『ふぞろいの林檎たち』の主題歌である「いとしのエリー」(サザンオールスターズ)が流れたのにはちょっと感動した。

『サラメシ』がどんな番組だったかをいちおう説明しておこう。サラリーマンの職場に取材班が訪れ、ランチを見せてもらうというものだ。喜んで見ていたくせに言うのもなんだが、人の昼飯の中身を見てなにが面白いのだろう。知人や有名人ならいざ知らず、だれが昼飯にチャーハンを食べてようが、ハンバーグを食べていようが、愛妻弁当を食べていようが、どうでもいいはずだ。となると、我々が見ているのは飯そのものではなく、ほかのなにかではないだろうか。

 思うに、この番組が描いていたのは、企業の論理(売り上げ、効率、達成など)から外れたコミュニティ、企業のなかの「私たち」だったのではないか。ランチはそれをつなぐ媒介でしかない。「一緒に食べる」は、「私たち」を確認するもっとも基礎的な行為なのである。私たちが『サラメシ』で見ていたのは、「私たち」が醸成される時間と場所だったのだ。

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