「自分の会社を見る目はなかったわけですが、世間の目は内定を失った学生に極めて同情的でしたし、もう一度就職活動を頑張って、『山一の内定をもらっていた』ということを全力でアピールするつもりでした。それなりの難関を勝ち抜いたわけですから、評価してくれるだろうと考えたのです」
こんなポジティブな姿勢が功を奏したのか、再度、就職活動に取り組んだAさんに意外な展開が待ち受けていた。
「もう1年留年するのは嫌だったので、ダメ元で片っ端から別の証券会社に連絡を取ったら、面接をしてくれる会社があり、結果的に大手証券会社の内定をもらうことができました。後々聞いた話ですが、社内では『山一内定組から面白い学生を探せ』という指令が出ていたようで、私の学歴と『運動部所属』という条件が気に入られたようでした」
そしてAさんはその会社でバリバリと働き、今では誰もが羨むほどの高給を稼いでいるという。
一方、某私立大学に通っていたBさんも破綻直前の山一から内定をもらった1人。Bさんの場合、Aさんとは異なり、金融・証券とはまったく畑違いの人生を歩むことになったという。Bさんが語る。
「私が山一の内定をもらったのは、はっきり言ってコネでした。私が通っていた大学は、大手証券会社の内定をもらえるような大学ではないうえ、大学で2年留年しています。ただ、私の父親はある業界で大きな仕事をしており、そのコネで押し込まれたのが山一でしだ……。しかしあのようなことになったので、私は“これ幸い”と、親に『もう一度就職活動をしたい』と訴えました。
私は、子供の頃からある趣味があって、学生時代はずっと専門誌でアルバイトをしていました。山一の内定をもらった時に一旦はその道を諦めようと思ったのですが、内定取り消しになったため、これも運命だと思い、その専門誌に就職することを決意。すんなり採用が決まり、今に至っています」