大阪市南船場で40年続く老舗食堂『十代橘』。この店を営むのは十代都喜子さん・葛野都司子さんの双子姉妹。ふたりは85才となった今も毎日店に立ち続け、看板娘としても地元の有名人だ。
ふたりが生まれたのは1933年2月4日。ドイツではヒトラーが政権を奪取し、日本も満州事変を機に彼の戦争に向かおうとする暗い時期だった。
都司子「雪の降る寒い日やったって聞いたなあ。自宅で朝4時44分に出てきてん」
都喜子「産んでみたら双子で、母は大泣きして、父は腰を抜かしたって(笑い)」
当時、双子は“前世で心中した男女の生まれ変わり”とされており、縁起が悪いと忌避された。そのためふたりも生まれてすぐに離れ離れとなり、姉の都喜子さんは実の両親に、妹の都司子さんは叔父夫婦に育てられることになった。
生き別れたふたりが初めて“出会った”のは7才の時だった。都司子さんを育てていた叔父夫婦が相次いで他界して、彼女は祖母に育てられることになった。以来、お互いの家を行き来するようになり、自然と交流を持つようになった。しかし、両親からも祖母からも、「双子だ」という説明は一切なかった。
都喜子「母から双子だと言われたのは20才の時。だから、初めて会ったときは、親戚の子やと思うてた。だけどえらい気が合うてすぐに仲よくなったんです」
都司子「だけど周りから見るとかなり似てたんやろうな。知らんおばちゃんが姉と間違えて『トキちゃ~ん』って抱きついてくるから逃げた逃げた(笑い)。そんなことがあってだんだん、双子だと理解できるようになってん」