そんな苦難の日々を経て、1975年都喜子さんは一大決心をする。割烹料理店を居抜きで買い取り、店を始めた。それが現在の『十代橘』である。
都喜子「飲食店やったら、なんかあっても朝昼晩、家族が食べていけるやろうと思って、食堂を始めたんです」
だが、お店を始めるにあたって、再び都喜子さんは2300万円という莫大な借金を抱えてしまう。
都喜子「店を始めた当初は主人も手伝ってくれようとはしたんです。でも、朝店に来てもコーヒー飲んでるだけで全然働かない。いつしか店には寄りつかなくなったわ」
またしても夫に裏切られた都喜子さん。そんな姉を助けたのは、やはり妹だった。
都司子「最初はたまに手伝う程度だったのが、ウチの夫の会社も倒産してしまってな、ハハハハ。それで自宅を差し押さえられてほとほと困った時に支えてくれたのがトキちゃん。それ以降、本格的にお店を手伝い、一緒に暮らすようになったんです」
それから二人三脚で店を切り盛りした。ふたりの息の合った共同作業から生まれる料理と元気な掛け合いですぐに千客万来。
都司子「なんも考えへんで朝から晩まで一生懸命働いてきただけや。会社の社長さんとか市長さんとかそういう役職の人も来てくれはったけども、どんなお客さんでも贔屓することなく、誰でも同じように愛情注いで、おいしい料理を食べてもらいたいって思ってやってきた」
月に50万円ずつ返済していた借金は10年できれいになくなった。
都喜子「大変だったかって? そんなの考えてる暇なかったわ。そりゃあ、苦労のしっぱなしといえばそうだけど、その時その時でできることをやってきただけ。あっという間だったわ」
※女性セブン2018年5月31日号