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日本大学の歴史 大学名に文部省が難色示すも押し切った過去

東京都九段南にある日本大学会館(本部)

 アメリカンフットボール部の悪質タックル問題に揺れる日本大学はとにかく大きな大学だ。輩出した卒業生は116万人、現役の学生数も6万7933人(通信教育部・短期大学部を含めると7万8379人)で全国1位である。2019年には創立130周年を迎える、その歴史はいかなるものなのだろうか。

 日大の前身は1889年に元長州藩士の司法大臣(当時)、山田顕義によって設立された「日本法律学校」だった。それが現在の「日本大学」に改称するのは1903年のことだ。

『日本大学百年史』(1997年刊)によると、「日本」を冠する名称とすることにあたっては、文部省が「日本を代表する国立の大学と思われるおそれがある」と難色を示したという。

 確かに、他大学を見ると早稲田大は東京の一地名に過ぎず、慶応義塾大、明治大はそれぞれ設立時の元号から名をとっている。最高峰の東京帝大ですら、首都の名を冠するに過ぎない。新規参入の私学に「日本大学」はふさわしくない、と思われて当然だろう。

 それでも大学側は「日本大学の校名が悪いならば杉浦重剛(幼少時の昭和天皇に倫理学を進講した国粋主義者)の日本中学(現・日本学園)の校名はどうなのか」と迫って押し切った。

 当時の教授は、「日本大学といふが如き雄大なる名称は世界の諸大学を調べても一寸見当たらない。(略)他人が能く承知したものだ」と述べているのだ。

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