かつて大学時代に付き合った慶應ボーイは、家に行くといつも無造作に部屋に300万円ほどお札が置いてあり、「親にもらった小遣いなんだけどね、口座に入れるの手間だから、現金で置いてある」と言っていました。両親も慶應卒の「慶應一家」です。いまなら「紀州のドン・ファンか!」って突っ込みたくなる光景ですが、その時は「さすが幼稚舎組…」とただただ驚くばかりでした。
また違う幼稚舎からの慶應ボーイ(こちらの男性とは友人関係)は実家暮らしで、「毎月枕の下に『お小遣い』と書かれたメモに2万円入っている」と語っていました。
「え? 2万円だと足りないんじゃない?」と聞いたら、「いや、親からは必要な分だけもらえる。枕の下の2万円はお手伝いさんから」と言い出しました。
小さい頃からお世話になっているお手伝いさんで、「おばあちゃんみたいな人」なんだとか。もちろん2万円は元を辿れば親が払った給料なのでしょうが、「お手伝いさんから小遣いをもらう」という人がいることに衝撃を受けたのを覚えています。ただ、本人は「そんなにおかしいかな?」と飄々としていました。
過干渉の親のもとで育ったお嬢様と、圧倒的肯定感に包まれている慶應ボーイ。どちらも珍しい人種ですが、同じ富裕層でも対照的な存在だと思います。