常見氏はこの日、当初予定していたトレーナー取材を18時からの開始に変更してくれ、遅刻した私が過不足なく取材ができるように手配してくれました。彼のお蔭でこの日はつつがなく情報を仕入れることができたのですが、どんなトラブルが発生しようが、「分かった。ちょっと待ってくれ」の一言で、すべてを解決していくのです。
当時雑誌のライター・編集者として数多くの広報担当と接してきましたが、ここまで優秀な人物は見たことがありませんでした。とにかく「仕事嫌い」といった広報が多い印象の中、常見氏はこちらの要求に対し「分かった」と言い、最適なセッティングをしてくれる。
かくして東京・名古屋2か所・大分の工場の取材を終え、各章の切り口などは常見氏、A氏と3人で話し合い決めていった。この時も常見氏は名古屋から別件の仕事も作りつつ、打ち合わせに参加してくれた。この間、テレビ朝日系『サンデープロジェクト』にOJT-Sを紹介する特集を仕込むほど精力的に動いていた。
広報としての仕事を立派に果たしつつも、もう一つ舌を巻いた出来事がある。編集のA氏は「口で笑って目は笑わない」というタイプだった。原稿に対し、この表情で「中川さん、ダメですね」と低音で言い切るのだ。これは恐怖だった。各章はなんとかOKは取っていったものの、「はじめに」が猛烈にダメ出しを受けた。5回は書き直したと思うのだが、「ダメですね」とまたもや言われた。
そして常見氏もいる会議の中、A氏は「常見さん、もう中川さんは『はじめに』は書くのは無理です。どうしましょうか」と言う。すると常見氏は「分かりました。私が書きましょう」と言い、数日後、A氏が相好を崩し「こういうのを待っていたんですよ! 中川さん、キツいことを言ってしまい申し訳ありません」と言った。この時、「本当はAさんは常見に書いてもらいたかったんだろうな……」と思ったのだった。
かくして書籍は2004年2月に発刊され、アマゾンの最高ランクは19位。その後地味に売れ、発刊から7年が経過した時もなぜか増刷がかかったりした。これもすべて優秀な広報担当である常見氏がいたからだと思っている。