被災地から届いたさば缶を食べて自然と涙がこぼれる
須田さんは、すぐに足りない物資や義援金を集めて回り支援活動に奔走した。
「不眠不休の支援活動の最中、『あのうまいさば缶が、もう食べられなくなるのか…』という思いが、私を含め商店街の皆の心を覆いました。落胆していたところに、津波に流され、もう会えないと思っていた木の屋のさば缶が届いたんです。木の屋の営業の鈴木さんが、被災地から運んでくれました。ヘドロや重油がべっとり付いたさば缶を皆で洗って食べた時は、嬉しくて自然と涙がこぼれました」(須田さん)
ピカピカになったさば缶を、「被災した石巻のさば缶」として1缶につき義援金300円で販売したところ、多くの人が興味を示し、買っていったという。
「しかし、初めのうちは情報が広まらず、しばらく大きな変化はありませんでした。状況が変わったのは、ゴールデンウイーク頃からです。話題が話題を呼び、震災から2か月後の5月には、テレビやラジオの取材依頼が殺到するようになりました」(須田さん)
そうした活動や木の屋の缶詰が多くの人々に知られ、支援の輪も更に大きくなった。いつしか「希望の缶詰」と呼ばれるようになり、最終的には22万缶もの缶詰が支援者の手に渡ったという。
苦労の甲斐あり、震災翌々年の2013年には、木の屋工場は再建を果たし、4年半後の2015年には震災前の売り上げ16億円を回復、2017年には19億円を突破した。須田さんが話す。
「助けたいという思いもありましたが、人々の心をこれだけ動かしたのは、木の屋のさば缶が本当においしかったからに他なりません。もしおいしくなければ、木の屋はここまで復興を遂げていないと思います」
おいしいものを誰かと食べたいという人としての営みや純粋な思いが、さば缶が長く愛される理由であり、ブームを支えている。
※女性セブン2018年9月13日号