貸す額をめぐっていがみ合う兄と弟
だが、A氏の栄華は長くは続かなかった。バブルが崩壊し、1990年代も中盤になるとすっかり不況になり、またこれまでのクライアントからは「あなたの理論は古臭い」とまで言われ、A氏の仕事は激減した。しかし、「落ちぶれた」と思われたくないため、これまでの豪快なカネの使い方を続け、「Aさんはまだまだ売れている」と思わせる偽装工作に必死だった。
しかしこんなことは長く続くはずもない。さすがに他人におごるようなことはしなくなったものの、のしかかってきたのが巨額の住宅ローンである。バブル期の稼ぎがあれば余裕で返せた金額ではあったが、当時の収入を基にローンを組んだため、毎月のローン地獄に陥った。すぐにマンションを手放すことになったが、購入時よりも低い評価額で売らざるを得なかった。
完全に家計は破綻していたのだが、そこで頼ったのが老親ときょうだい達である。老親は年金生活に入っていたため、それほど金額を用立てることはできない。当時働き盛りになっていた兄と弟にまずは借金を依頼した。100万円ずつ借り、何か月分かの生活費とローン支払いに充てることはできたが、この時A氏の長男は私立大学の学生だった。長男も必死にバイトをし、学費をなんとか稼ごうとするが、家計の足しになるほど稼げるわけもない。
数年前、暴飲暴食と見栄張りのためにあれだけのカネを使っていた男が、今や息子の学費さえ支払える状態ではなくなってしまったのだ。東京の私立大学に行こうとしていた次男は、国立大学に行くしかなくなった。だが、東京都内の国立大学に入れるほどの偏差値はなかったため、縁もゆかりもない地方の国立大学を受けることに。
兄と弟からの借金のおかげで、A氏は数か月間はローンを支払いながら生活することができたが、借金をする時の公約だった「もうすぐ大口契約がドーンと来る」という話と「北陸3県をまわる講演が予定されている」は結局両方とも達成できなかった。兄と弟は日々電話で「次に借金の依頼が来たらどうするか?」を話し合った。いつしか兄と弟も「兄貴なのになんでオレよりも多く出さないんだ!」「お前のようにオレはボーナスがあるわけではない!」といがみ合うようになっていった。