「ある時、当時の仲間から料理教室に誘われたのです。料理教室といってもどこかに通うわけではなく、豪邸に住む友人の家に一流シェフを招くという優雅なものです。一流レストランの料理を学んでも役に立たないとは思いましたが、作った後にみんなで食事をするのが楽しみで参加することにしました。
お互いの家族構成を知り尽くしているため、食事中の会話はもっぱら家族のこと。『○○ちゃんは何歳になったの?』『○○君は××大学に通っている』といった話です。その会話の中で、ウチの娘の話題になり、『本人が銀行に行きたいって言ってるんだけど、文学部は弱いらしくて……』と話すと、メンバーの1人が『Oさん、M村さんに連絡しなさいよ! M村さんいま、××銀行の役員だから』と言ったんです。M村さんも当時の仲間です。
そこからは早かったですね。その情報を教えてくれた女性が旦那さまに電話をし、旦那さまがM村さんに電話をし、その晩にはM村さんから私に電話がありました。M村さんは『何でもっと早く言ってくれなかったんですか!』と言って下さり、娘はトントン拍子で希望するメガバンクに就職が決まりました」
Oさんの娘は3か国語が話せ、難関大にも現役で合格した優秀な女性だったが、入社してみると、文学部卒の女性の総合職は1人しかおらず、コネが効いたのは明らかだったとOさんは述懐する。O家では今でも、「(母が)習いたくない料理を習いに行って本当に良かったね」と、しみじみ語り合っているそうだ。