ハナさんが悲鳴をあげても、ユリコさんは「なんで忘れてたんだろう?」と、自分でも不思議な様子だった。普通なら、何かを忘れていたとしてもきっかけがあれば思い出し、反応は「あ、忘れてた!」というものになるのだが、認知症の場合、こういった“取り繕い”や“ごまかし”をするようになる。当時、ゆめゆめ認知症と思わず、ユリコさんを叱責したハナさんは、「すでに私の言葉は届いていなかったんでしょうね。でもその頃から、確かにおかしいことが続いたんです……」と述懐する。
しょっぱすぎたり、甘すぎたり、肉が生焼けだったり…
認知症になるとものごとを順序立てて効率よく行うことが難しくなり、また嗅覚や味覚に障害が起きるため、料理にも異変が起こる。鍋を火にかけっぱなしにしたり、水を出しっぱなしにしたりするほか、いつも作っているメニューの味が変わる、調理が雑になる、というのも認知症のサインである。
ユリコさんは料理を得意としていたが、徐々に食事を作る回数が減っていった。父と実家暮らしだったハナさんは、当初、父と「お母さん、最近疲れているのかな」と話し合い、様子をみることにした。そして、だんだんとユリコさんが食事を作るほうが珍しくなった頃、せっかく作った料理が妙な味付けになっていることに気づいた。その頻度は徐々に高くなってゆき、しょっぱすぎたり、甘すぎたり、肉が生焼けのまま出てくることもあった。
ある晩、20時過ぎに仕事から帰宅したハナさんがキッチンに行くと、ユリコさんは鍋に入ったコーンスープをゆっくりと丁寧にかきまぜており、「これ、牛乳と缶詰で作っただけで、こんなに美味しいの!」と無邪気に言った。その時点で他のおかずは何も作っておらず、結局その日の夕食はコーンスープだけだった。
「その時は『これだけ?』と困惑しましたが、何も変わったことはないかのように平然としている母を見て、何も言えませんでした」(ハナさん)