文字通りの「新しい時代」が幕を開ける2019年。それに相応しい国づくり、人づくりが必要なことは言を俟たない。ところが現実は、五輪や万博など、一瞬の打ち上げ花火で終わるような「イベント頼み」経済が続くばかりだ。大前研一氏が、2020年の東京五輪について展望を述べる。
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大阪万博の開催が決定し、政財界が沸いている。2020年の東京五輪から2025年の大阪万博への流れは、1964年の東京五輪から1970年の大阪万博という半世紀前のデジャブ(既視感)であり、皆がそれに象徴される「高度成長期」の再来を夢見ているかのようだ。
周知の通り、日本経済は1950年代後半から1970年代前半にかけて飛躍的に成長した。その間に東京五輪や大阪万博などによる“特需”があり、「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」などが次々に起こり、やがて日本は世界第2位の経済大国になった。
「その夢よ、もう一度」とばかりに政府、東京都、大阪府は算盤を弾いているわけだが、2020年東京五輪と2025年大阪万博は“捕らぬ狸の皮算用”に終わり、後に残るものは何もないだろう。
東京五輪は、もともとできるだけ既存の施設を活用して新しいハコモノを造らず、コストをかけない「コンパクト五輪」がコンセプトだったはずである。ところが、会計検査院は2017年度までの5年間に国が支出した関連経費が約8011億円に上ったことを明らかにした。2018年度以降も多額の支出が見込まれるため、大会組織委員会と東京都が見込んでいる事業費計2兆100億円を合わせると、経費の総額は3兆円以上に膨らむ可能性が高くなっている。まさに“青天井”だ。