大学教授の仕事として、学生への指導が大切なのは言うまでもないが、本音では「研究に没頭したい」という教授もいるようだ。都内の私立大学で、フランス文学を専門とするOさん(40代・男性)は博士号を持つ教授だが、雑務に追われて論文を書く暇がなく、「教授の本分とは何か?」という疑問が頭を離れないという。
Oさんは都内の私大を卒業後、国立大の修士課程、さらに博士課程に進み、卒業後は海外に留学。帰国後は母校に戻って非常勤講師として働きながら研究を続け、15年ほど前にある私大の准教授に、さらに別の私大に移り、現在は教授として教壇に立っている。
Oさんが学生だった頃、大学は“学びたい人が学ぶところ”だったという。Oさんが語る。
「私が学生だった1990年代前半は、ほとんどの授業は出席を取らず、休講になることもしばしばで、90分の講義でも実際はせいぜい70分程度でした。講義要項も『1年をかけてサルトルの『嘔吐』を読む』といった具合で、試験もレポートばかり。ほとんど学校に来なくても卒業することができました」(Oさん。以下「」内同)
高い授業料を払って講義を受けないのなら、なんのために大学に入ったのかわからないが、大学生ともなればもう大人。過剰に干渉せず、個人のやる気に委ねるのも1つのやり方ではあっただろう。Oさんはそんな自由な雰囲気に憧れ、大好きな文学に没頭するべく研究の道に進んだが、実際に准教授や教授になる頃には、時代は完全に変わっていた。