2018年9月、樹木希林さんが75才で亡くなった。その後を追うように、夫の内田裕也さんが、3月17日に肺炎でなくなった(享年79)。樹木さんは、まるでそうなることを見越していたかのような用意周到な生前の手続きをしていた──。
樹木さんは、昨年、映画『万引き家族』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞したが、3月1日の授賞式では娘でエッセイストの内田也哉子(43才)がステージに上って、以下の言葉を述べた。
「生前、母がよく口にしていた『時が来たら 誇りをもって 脇にどけ』という言葉が、文字通り、今日できると思います」
この言葉は、樹木さんが生前好んでいたドイツの詩人、エーリッヒ・ケストナーの詩『警告』の一節だ。死を受け入れる、そして、次の世代に道を譲る──。
樹木さんの「死に方」は、まさに“次の世代”のお手本になるものだった。
授賞式で也哉子はこう明かした。がんが見つかった樹木さんが真っ先にしたことは、生涯の伴侶である内田裕也さんに「それまでのすべてのことを謝りに行くということ」だったという。残された時間がわずかだと知った時、自分とかかわった人たちに謝ってから逝きたいと、樹木さんは考え、実行したという。
樹木さんという稀代の女優のユニークなところは、そのように精神的な面で“脇にどいた”だけでなく、実務的な「生前の手続き」でも、実に用意周到だったところだ。
都内に、少なくともマンション3つ、戸建てを5つ。樹木さんは「芸能人は生活の保障がないから、お金があるうちに不動産を買うべき」が口癖で、芸能界屈指の“不動産王”だったことは、ほとんど知られていない。