告別式やお別れ会といえば、やはり、心に残るのは「弔辞」だろう。芸能人のお葬式でも、これまで数え切れないほどの弔辞が読まれてきたが、いまなお「伝説」として語り継がれるのは、漫画家の赤塚不二夫さん(2008年8月逝去、享年72)の告別式での、タモリ(74才)の弔辞だ。
《私もあなたの数多くの作品の一つです》の名文句が日本中の人々の心に響いただけでなく、その弔辞が「白紙」だったことも、驚きを持って報道された。
芸能人のお別れ会の取材もする葬儀ポータルサイト「いい葬儀」の小林憲行さんは、忘れられない弔辞として、永六輔さん(2016年7月逝去、享年83)の告別式を振り返る。
「黒柳徹子さん(86才)の弔辞が素晴らしく、永さんにお会いしたことのない私でも、ご本人の生前の姿が思い浮かび、涙が出ました。いい弔辞というのは文章の巧みさなどではなく、その人を思って話すことが何より大切です」
文章を作るのが苦手な人は、テンプレート(雛型)の弔辞を参考にして構わない。思いがこもっていればテンプレートの文面でも参列者の胸を打つという。
流通ジャーナリストとしてテレビでもおなじみだった金子哲雄さん(2012年10月逝去、享年41)の葬儀では、本人が生前に準備した会葬礼状が話題になった。
《このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席賜り、ありがとうございました。今回、41歳で、人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事等にて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます》
希少ながんである「肺カルチノイド」との闘病を続けながら、最期の瞬間まで「終活」を続けていた金子さんは、自らの葬儀も“セルフプロデュース”した。その出来栄えは「完璧」だったと妻で終活ジャーナリストの稚子(わかこ)さんは語る。
「今日明日にも亡くなるかもしれないという危険な状況になり、慌てて葬儀社を呼んで打ち合わせをしたんです。本人がベッドの上に背を起こし、『自分の葬儀は自分主催のイベント。流通ジャーナリストとして、葬儀を間違えたくない』と主張し、酸素濃縮器をつけながら打ち合わせを始めました。葬儀社のかたも驚いていました」