大阪都構想で確執
そんな大阪と神戸の間の確執を浮き彫りにしたのが、「大阪都構想」だったという。2010年に当時の橋下徹・府知事を代表とする「大阪維新の会」が発表した行政構想で、次第に大阪だけでなく阪神間や神戸までひとつにまとめようとしたことで、猛反発を食らった経緯がある。
「2013年に『日本維新の会』の政調会長が、尼崎や西宮、さらには神戸まで特別区にすれば東京に負けない自治体になると話し、兵庫県知事選と神戸市長選に維新から独自候補を出す動きが出た。これに反発したのが兵庫県民や神戸市民。『大阪と一緒にすんな』『上からモノをいうな』『お前らだけで勝手にやれ』と一斉に反発した。
橋下氏は、関西国際空港への補給金が事業仕分けの対象になったときに大阪国際空港、いわゆる伊丹空港を廃港にすると掲げましたが、やはり兵庫県民が『兵庫県にある空港を勝手に大阪空港と名乗って、勝手に廃港にするな』『他府県が口を出すな』と猛反発していた」(地元記者)
時代を遡ると、両府県の軋轢が露わになった事件もあった。1984年の「グリコ・森永事件」である。事件が発生したのは、兵庫県西宮市の江崎グリコの社長宅だったが、犯人が江崎社長を監禁したのは大阪府摂津市の防災倉庫だったので、兵庫県警と大阪府警の合同捜査本部が設置された。
「縄張り争いで双方の情報交換がうまくいかなかったために捜査が難航したとされ、事件は未解決のまま時効となった。大阪府警と兵庫県警の仲が悪いことが利用された事件だと当時から見られていました」(地元紙社会部記者)
※週刊ポスト2020年4月10日号