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曽野綾子氏 「コロナ社会でも世間と同調するのは美しくない」【#コロナとどう暮らす】

 私は常々、世の中にはそれほどひどいこともなければ、安全が保証されているようなこともないと考えています。先はどうなるかわからない。わからないことに不安を感じますが、自分には知らないこと、わからないことがたくさんあると思いながら生きています。

 たとえコロナウイルスがなかったとしても、今日、何かに巻き込まれて死ぬことがないとも限らない。人生ってそんなものです。

 高齢者は重症化しやすいから外出を控えた方がいい、という声を聞きます。でもその声に私は従っていません。必要だと思えば、出歩いたっていいのです。

 それをとがめる「自粛自警団」は、やりたくてやっているのですから、圧力に屈しなくていい。彼らは決してあなたの身を案じて意見しているわけではない、それに心地良さを感じるからしているに過ぎません。

 三浦が亡くなった直後にも同じようなことがありました。看取った5日後に、私はオペラに出かけました。「なんて不謹慎な」と眉をひそめる人がいるかもしれませんが、三浦は「きみがオペラに行くのをやめたってぼくが生き返るわけじゃない」と言うような人でした。

 三浦が亡くなった後も“LIFE MUST GO ON”、それでも人生は続くのです。これはコロナのことでも同じだと思います。「新しい生活様式」と盛んに言われますが、人の目を気にして、自分の生活を無理矢理変えることは、「同調」です。

 世間と同調しながら生きる姿は、美しくない。「美しさ」とは、私の中にある選択が生きている場合です。

 例えば私が、お客さまから最中をいただいたとします。最中は、皮がパリパリのうちに食べた方がおいしい。世の中の常識なるものに同調するならば、いただきものは、お客さまがお帰りになるまで横においておくべきなのでしょうが、私は、いちばんいいときにいただくのが、いいと思うのです。だからいただいたとき、その場で開けることもあります。そして、家の者にも食べてほしいから、会話の途中で中座してでも渡しにいく。

 私が思う「よきこと」をする。これが「美しい」ということだと私は思っているんです。世間の風潮に同調して、「人からよく思われたい」と行動することは、私にとっては“美しくない生き方”です。

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