しかし、最期の瞬間には「他人」であることを痛感させられることもあった。
「先生が原因不明の疼痛で『痛い痛い』と苦しむので、痛み止めの処置を医師に頼んだのです。しかし、『あなたは家族ではないから』と、聞き入れてもらえなかった。それは本当にショックでした。死後の身辺整理や財産の問題については、弁護士と親族のかたが行われましたから、私がかかわることはありませんでした」
生前、自身の財産にはまるで関心を示さなかったという山崎さんだが、遺言書はしっかり残していた。
「先生は取材のために世界を飛び回っていましたから、預金通帳を見ると、お金が気になって取材ができなくなるといって、お金には恬淡とされていました。遺言書には、生前に設立されていた中国残留孤児のかたへの奨学金を支援する『山崎豊子文化財団』の今後のことや、母屋の離れ跡に造った資料館のことについて書かれていたはずです。そういうことは、生前から弁護士と相談していらっしゃいました」
そんな山崎さんが、作中に忍ばせた「遺言書」がある。
大学病院が舞台の人気作『白い巨塔』のラストシーンだ。医療ミスを犯しながら、罪を認めることなく、最期はがんで亡くなる主人公・財前五郎が、自らの遺体の病理解剖について書いた手紙である。ドラマでも“泣ける名シーン”として有名だが、この遺言書は当初の構想になく、急遽加筆したものだった。
「当時、先生は盗用疑惑で騒がれていました。実際に盗用はなかったものの、少なからず先生にも非があり、ご自身が大変苦しまれていたのです。もともと、財前はそのまま死んでいく予定でした。しかし、彼もやはり人間で、マイナス面だけでなく、医師としての良心からくる一面もある。それを描く方法が遺言書だった。先生自身の苦しみが、加筆につながったのです」
遺言書には、その人の最も重要な人間性が反映される。だからこそ、良くも悪くも、私たちは遺言書に振り回されてしまうのだ。
※女性セブン2020年7月9日号