同じ三菱御三家の三菱銀行が、合併を繰り返したのとは対照的である。
三菱重工に次いで業界2位の1兆2888億円という売上高(2012年度)を誇る川崎重工も三井造船(現・三井E&Sホールディングス)との経営統合交渉を報じられたことがあった。ところが、2013年に明らかになった統合案は早々に、暗礁へ乗り上げてしまう。
「川崎重工にとって造船事業はいくつかある事業のうちのひとつであるのに対し、三井造船は造船事業が5割以上も占めていました。当初から川崎重工側から『日本の造船事業に展望が見られない』と反発がありました」(前出・関氏)
統合交渉を進めていたのは川崎重工の長谷川聡社長(当時)だった。これに川崎重工で強い権限を持つ車両や二輪などの部門(カンパニー)の責任者が反旗を翻した。取締役会で長谷川氏以下、統合推進派の役員3人が解任されるという「クーデター」が起こった。
「川崎重工には鉄道車両など当時7つのカンパニーがありましたが、それぞれのトップが役員会で統合推進派を解任に追い込みました。三井造船は赤字であり、統合を進めていたとすれば川崎重工も悪影響を受けていたでしょう」(前出・関氏)
※週刊ポスト2020年9月4日号