コロナ禍でオフィス向け自販機やコンビニでの販売が大きく目減りする一方、スーパーでの販売やインターネット通販に活路を見いだそうとしている飲料業界。ウィズコロナの時代をどう勝ち残るのか、メガブランド「午後の紅茶」を擁する、キリンビバレッジの堀口英樹社長(58)に訊いた。
──このシリーズではまず、平成元年(1989年)当時を伺っています。
堀口:私は1985年にキリンビールに入社しました。配属は大阪支店の営業企画課で、大阪府、奈良県、和歌山県が管轄エリア。
都合10年半大阪にいましたが、最初の4年はビールではなく、「キリンレモン」など清涼飲料の販売に携わっていました。
それからビール営業に移ったのがちょうど1989年でした。2年前に(アサヒビールの)「スーパードライ」が出ていたので、見る見るうちに「スーパードライ」がいろいろな販路に食い込んできた。キリンにとって大変な時代でしたが、エリアを一生懸命走り回った時代でした。
同時に忘れられないのが1995年1月に起きた阪神淡路大震災です。
1990年に結婚し、当時は家族とともに西宮市に住んでいました。大きな揺れが一気に来て、壁につかまっていないと立っていられない。家の中の物という物がどんどん倒れ、しばらくするとサイレンが鳴り響き、瞬く間にあちこちで火の手が上がりました。
そんな非常時に、お客様のために何ができるか──。当時は飲食店向けの営業をしていましたので、震災直後はポリタンクに水を詰め、社用車のトランクに積み込んで得意先をひたすら回っていたのをよく覚えています。
よく営業は「理」と「情」のバランスが大事と言われます。社会人として「理」を学ぶ場は、研修、プレゼン、企画会議などいろいろありますが、「情」を学ぶ機会はそう多くありません。震災での経験など、大阪での10年間は、得意先との信頼関係や良好な人間関係を築いていくための「情」を学ぶよい機会になりました。