長年住み慣れたわが家で最期まで暮らしたいという思いがある一方で、自然に囲まれた田舎で最期を迎えたいと移住を考える人もいる。「終の棲家」の選び方は人それぞれだ。では、理想の終の棲家を見つけた芸能人の場合、譲れなかったものとは何だったのだろうか。
元パリコレモデルでタレントの林マヤ(62才)は、2008年に野菜文化研究家でカメラマンの夫・笛風呂タオスさん(62才)と茨城県守谷市へ移住。都内から車で40~50分の住宅地に暮らす。
「守谷に来てからも引っ越していて、いまの家は2年ほど前から住み始めました。賃貸ですが、4LDKの一戸建てで、庭にはハーブ園を造りました。家賃は月々約10万円。東京に住んでいたときとは比べものにならない安さです」(林・以下同)
県内の4か所で手がける畑では、年間120種類もの野菜を無農薬で育てている。「うちの秋冬コレクションです」という野菜は、真っ白ななすや葡萄色のピーマンなど、「レアベジタブル」と呼ばれる希少なもの。味わいは爽やかで力強い。自身を「芸農人」と名乗るほど畑仕事もすっかり板についた林だが、移住を決めた背景には壮絶な借金体験があった。
「33才のとき、当時アパレル業界で働いていた夫を誘ってジャズシンガーの夢に挑戦したのですが、気づけば1億円の借金を抱えていました。家にあった猫用の缶詰も食べ尽くし、生きる気力を失って、夫とふたりで死ぬために富士の樹海へ行きましたが、死にきれなかった。神様に『まだ死んじゃいけない』と言われた気がしたんです。その後は、タレント活動の傍ら、アルバイトや内職をかけ持ちして死に物狂いで働きました」
食べ物がのどを通らなくなり、拒食症になったこともある。憔悴した妻のため、夫は茨城の農家で野菜作りを学んだ。色とりどりのレアベジタブルは、林を心身ともに元気づけた。
「50才のとき、やっと借金がゼロになりました。だけど、東京には誘惑が多すぎる。夫婦で野菜を作りながら、大地に足をつけて暮らしていきたいと選んだのが守谷だったんです」