9月7日、釧路空港から関西国際空港に向かう予定だったピーチ・アビエーションの機内でマスク着用を拒否して大声で騒いだ男性を降ろすため、同機は新潟空港に臨時着陸した。このニュースは、「機内ではマスク着用が常識」というコロナ禍の「新しい生活様式」ならではのことのように思えるが、時代によって生活様式は変化する。昭和48年(1973年)生まれのネットニュース編集者・中川淳一郎氏が、小中学生時代(昭和50~60年代)には当たり前だった「今では考えられない風習・様式」を振り返る。
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常識というものは日々変わるもので、最近でも居酒屋に行ったら、届いた料理の皿に誰も手をつけない。あぁ、取り箸がないのが気になるのですね。分かります、分かります。かくして店員を呼び、「すいません、取り箸をいただけませんでしょうか」とやるようになりました。
こうして様々な風習・様式・作法といったものは変わっていくものですが、ちょっと前の日本でも、今考えたらとんでもないものって多かったですよね。47歳の私が小中学生だった頃(主に昭和50~60年代)の状況を、ザッと挙げていきます。
・ボックス席の電車には灰皿がついていてタバコを自由に吸えた
・酒の自販機がありとあらゆる場所にあった
・エロ本の自販機もかなりあった
・子供にタバコや酒を買いに行かせる親が多かった
・TURBOエンジン搭載の車や4WD車には車体の横に「TURBO」や「4WD」と書いてあった
・男子小学生はどんなに寒かろうが短パン(半ズボン)しかはけなかった(あるいはジャージ)
・小学校で米飯給食は1か月にゼロ、ないしは1回だった
・読み終わった新聞・雑誌は電車の網棚に乗せるものだった
・そうした雑誌をホームレスが回収し、売人に渡し、駅前で1冊100円で売られていた
・「プロ野球選手名鑑」には選手の自宅住所が掲載されていた
・運動部では「水を飲むな」と言われ「うさぎ跳び」をやらされた
・電車の「キセル乗車」がやり放題と言っていい状態だった
・キセルをする者が多いものだから、電車内を「検札」の係員が両脇からやってきてキセルをしている者を追い詰めていた
・学校にエアコンがないのは当たり前だった
・学校の名簿には住所・電話番号に加えて保護者の名前が書かれており、離婚しているか否かが一目瞭然だった
・カビが生えた菓子パンを10円で売っていた。店主の言い分は「そこだけ取ればいいだろ」だった
・夜の自転車は無灯火も多かったし、飲酒運転も頻繁に見られた
・様々な場所にゲロや犬のうんこが落ちていた