都心の豪邸を残されてもうれしくない
これらの手続きは、もちろん弁護士や税理士などの専門家の助言を受けてのことだったが、それでもアンナ自身が動かなければ物事が進まない場面が多かったそうだ。
「母は憔悴してそれどころでなく、私が役所や金融機関に足を運んだ回数は60回以上になります。パパは最期の瞬間までベッドで書きものをしていて、私が『書いて』ってお願いした遺言書だと思っていたら、じつは料理のレシピを目次つきで綴っていたんです(笑い)。ですが、遺言書はなかったとはいえ、細かく整理してくれていたし、借金もなかったので助かりました」(アンナ)
そんな中でも、アンナが最も「救われた」と話すのは、都心の自宅を生前に売却していたことだ。晩年の辰夫さんは、愛してやまなかった神奈川・真鶴の別荘を拠点としていた。もし、都心の豪邸もそのまま残されていた場合、相続税は莫大なものになり、相続を放棄せざるを得なかっただろうとアンナは語る。
「真鶴の家はいまも残っています。東京と地方では相続税(不動産の相続税の評価額)の桁が違うんです。東京の一等地に豪邸を残されても、正直なところ、家族はうれしくないですよ」
※女性セブン2020年1月7・14日号