終活の一環として多くの人が考えるであろう「終の棲家」という問題。人生の最期を過ごした場所に対する故人の思いを、亡くなった後に知ることもある。昭和の銀幕スターでありながら、気さくな人柄で愛された梅宮辰夫さん(享年81、2019年12月逝去)は、晩年のほとんどを別荘として使っていた神奈川・真鶴の家で暮らした。娘のアンナ(48才)が振り返る。
「真鶴にあるのは私が16才の頃に建てた家で、父が漬物事業で成功したお金を注ぎ込んだので、『漬物御殿』と呼ばれていました。4階建てで、とにかく頑丈な造り。父はこの家が大好きで、毎年夏になると長く滞在していました」(アンナ・以下同)
晩年、体中にがんが転移して体重が激減し、人工透析も受けていた辰夫さんは、ある決断を迫られた。東京・松濤にある200平米の豪邸と真鶴の家のどちらかを手放すよう、妻のクラウディアさんとアンナに懇願されたのだ。
「松濤の家は光熱費だけで月20万円かかったので、母と私でどちらかを選ぶようお願いしました。父は最初、『両方手放さない!』と言い張りましたが、体調がどんどん悪化するのを自覚したのか、最後は『松濤の家を売る』と言いました」
2018年に松濤の家を売却した辰夫さんは真鶴に移り住み、まさにそこが終の棲家となった。
父の死後、アンナは真鶴の家を売ろうとした。築30年を超えて老朽化が激しく、手直しが必要で維持費もかかる。しかも台風など自然災害の影響を受けやすい地域にあるため、当然の決断だった。