コロナ禍でEC(電子商取引)利用が加速したことで、好調を維持する宅配業界。そのトップランナーがシェア42%を誇るヤマト運輸だ。「新しい購買様式」の定着と拡大を踏まえ、今後どんなサービス展開を目指すのか。ヤマトホールディングス・長尾裕社長(55)に訊いた。
──このシリーズではまず、平成元年(1989年)当時について伺っています。
長尾:私は1988年にヤマト運輸に入社しましたが、実は高崎経済大学の学生だった頃からヤマト運輸でアルバイトを経験していました。
大学では体育会のテニス部に所属しており、年末年始は1か月ほど練習が休みになる。その間、仲間とヤマトの集配ターミナルで荷物の仕分けをしていたのです。高崎市と前橋市をつなぐ国道17号線沿いにあるターミナルで、群馬県全域をカバーしていました。
その時はヤマト運輸に就職するとは思っていませんでしたが、取り扱う荷物の多さに宅配業界の未来を感じたのかもしれません。そこで大学の先輩を頼ってOB訪問したところ「必ず来い!」と(笑い)。
ヤマトが宅急便サービスを始めたのが1976年で、私の入社当時はまさに伸び盛り。会社に勢いを感じましたね。
──最初はどんな業務を?
長尾:当時、大卒入社1年目は必ず現場配属になっていて、私は出身地である神戸市の営業所に着任しました。
若手はまず、専門分野に特化したスペシャリストではなく、業務全般に精通するジェネラリストになることを求められました。セールス活動からお客さま対応まで、とにかく忙しかった記憶がありますね。
1988年は「クール宅急便」がスタートした年でした。神戸は中華街があって、神戸牛も有名。配達量が一気に増えましたね。
昭和のお歳暮といえば、箱詰めのミカンやリンゴ、缶詰や新巻鮭などが定番でした。しかし、クール宅急便の登場で贈答文化は劇的に変わった。カニやフグ、アイスクリームといった要冷蔵・要冷凍商品が、普通にお歳暮として贈られるようになったわけですから、クール宅急便がもたらしたイノベーションは大きかった。
宅配ビジネスの進化が人々の生活を大きく変える──そのダイナミズムを実感できたことは大きなやりがいになりましたし、社長になってからもそうした新規事業に取り組むことを常に考えています。