ちなみに、コロナ前は平均で、1回勤務で最低5万円は売り上げていたという。収入減だけではない。狭い車中の換気をどうするかという問題もある。
「後ろでゴホンと咳をされたから、窓を細く開けたら、『オレはコロナじゃねえよ』と怒られちゃって。それ以来、考えちゃうんですよねぇ……。自分が咳込むときもそう。窓を開けると、自分がコロナの可能性があると言っているみたいで……」
「運転手さん、年は?」
「79才。もうとっくに引退してもいい年なんだけど、ちょっと事情があって、働かないとならないんですよ」
その“ちょっとした事情”を聞いた。かいつまんで話すと、景気のいい時代、運転手さんはギャンブルにはまった。
「ギャンブルって何? 私は麻雀から20年抜け出せなかった。いまはもう面倒でやる気ないけど、あんなに面白い遊びはないといまも思うよね」
「……そうか。お客さんもか。実はオレもそうでね」
運転手さんの口調が、「私」から「オレ」になった。
「借金まみれでどうにもならなくなって、オレ、一度、家庭を捨てて東京から逃げちゃったんだよ。それで地方で働いたんだけど、謝って、1年で帰ってきたんだ。そう、出戻りの身なんで、カミさんに月々お金を渡さないとご飯も食べにくいっていうか」
それを「ふむふむ」と聞いている私も、ここに書くのに気が引けるくらい、バカでダメ人間だった。真人間になった(?)いまなら、当時の私のような人間とは絶対につきあわない。当時は、他人にも自分にもよくウソをついていた。麻雀をぶっ通しでやっていても仕事が忙しかったフリをするし、お金はなくてもあるフリをする。
その雀荘で卓をよく囲んだのが、タクシーの運転手さんたちだった。麻雀が終わった後、居酒屋でビールをおごってもらったり、負けて涙をためていたら慰めてくれたり。いわば地獄の1丁目でたむろしていたときの仲間だと、私は勝手に思っているわけ。
それだけじゃない。タクシーの運転手さんに人生のピンチを救ってもらったこともある。