「駆け込み寺」ならぬ、「駆け込みタクシー」
離婚しようかどうか迷っていた20代後半のある日、ふらふらとタクシーを止めたんだわ。「どちらまで」と聞かれても、前日に家を出ていたので、行くあてがない。
「……どこ行こうかな」
「それじゃ困るんですよね」
そのときの運転手さんの口調に怒気が含まれていたら、私は車を降りた。でも、朗らかに笑いながらだったんだよね。
「首都高速1周とか、お願いできます?」
「いいですけど……何かあったんですか?」
「知らない人と話がしたいの。聞いてもらえます?」
こうして、“聞き役タクシー”は走り出したんだけど、しばらくして運転手さんは東京湾の見える埠頭で車をゆっくり止めた。で、メーターを止めながらおもむろに言った。
「ちょっとオレも聞いてもらいたいことがあるんだ」
そこからお互いに話し話され、気がつくと4時間を超していた。その間、運転手さんは運転席でハンドルに手をかけながら前を向いたまま、私も後部座席に座ったまま。お互いの顔はバックミラーで見ているけど、目と目を合わせない。だから話せることもある。心の重荷をほどくには、そのくらいの距離感がちょうどよかったのよ。
一期一会。「さ、それじゃ、どこでも送っていきますよ」と言った後、最寄り駅に車をつけてくれた運転手さんとは、それきり会っていない。“酸いも甘いも噛み分けて”というけれど、私は年配のタクシー運転手さんを見ると、その言葉を思い出す。ふつうの人より起伏ある人生を過ごしている彼らに、いざとなったら話を聞いてもらおうかな、とも思っている。
その彼らが、このコロナ禍でどれだけ生き残れるか。あれはちょうど1年前のこと。例によってタクシーの“ちょい乗り”をしたときに「女性ドライバーが増えた」という話になった。
「なんたって、時間が自由ですからね。あと、皆さんが思っている以上に稼げるんですよ。だから、私のように、運転が好きなシングルママがどんどん参入してきています」
「オリンピックもあるし、これからまだまだ稼げるね」
「女性ドライバーたちはみんな、それを期待しているんじゃないですか」
あのとき声を弾ませていた彼女や、紺のジャケットを身につけた長い髪のシングルママはどうしたのだろう。最近、フロントガラス越しに見えるタクシードライバーの顔が気になって仕方がない。
そして思う。不満と不安を抱えながら先の見えない日々を黙々と過ごしているのは、彼らだけじゃないと──。
【プロフィール】「オバ記者」こと野原広子。1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2021年2月11日号