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中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

直後に会社を辞めました… 私が経験した「月300時間残業」のリアル

今では考えられない「異常な残業生活」の実態とは?(イメージ)

今では考えられない「異常な残業生活」の実態とは?(イメージ)

 昨今「長時間残業=悪」という風潮はすっかり定着しているが、かつて残業はそれ程問題視されていなかった時代もある。「100時間は過労死ライン」と言われるが、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は会社員時代、「月300時間残業」というとてつもない残業を経験したことがあるという。一体それはどのような日々だったのか。今考えると「2000年のその月は異常だった」と振り返る。

 * * *
 私は当時広告会社にいたのですが、広告会社って「サービス業」なんですよ。クライアントのオーダーに対しては「喜んで!」と滅私奉公のごとく応えるのが仕事です。広告業界を「クリエイティブの総本山」的に捉えている就活生がいる場合は、そこは改めていただければ、と思います。広告会社は基本「サービス業」であり「客商売」です。

 そして広告会社、特に私がいたような大手総合広告会社はクライアントからは「なんでもできるんでしょ?」と思われがちでした。私は入社4年目の2000年、通常の月の残業は120時間ほどでした。土日のどちらかは出勤していたため、休日は1か月で4~5日です。というわけで、毎朝定時出社して、仕事を一段落させて会社を出るのは連日23時ぐらいでした。

 しかし、2000年10月、「残業300時間」となった月は、これはハンパなかったです。この時は、11月頭に某外資系企業の日本初上陸の記者発表会を目前にしており、「記者会見」「その後の幹部インタビューのセッティング」「メディアへの幹部登場アレンジ」という重要な3つの仕事がありました。

 外資系企業なだけに、同社の日本法人向けの日本語の資料と、本社向けの英語の資料を作る必要があります。これに加え、本社の出勤時刻に合わせ、毎日日本時間の午前2時に本社に資料を送る必要がありました。

 大体これで分かってきたかと思いますが、仕事相手との時差がある場合、とんでもない残業時間になるのです。これとは別に並行して、普段から付き合いのある日本のクライアントとの仕事も多数しているだけに、日中も仕事に追われます。夜になってようやくこの海外クライアントの仕事に取り掛かれます。

 下っ端の従業員というものは、とにかく上から振られた仕事はやらなくてはいけない。しかも、幸運なのか不運なのかわかりませんが、私は「英語ができる」ということでこの仕事を担当させてもらっていた面もあり、他の人に手伝ってもらえる状況でもなかったのです。

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