キャリア

医師免許があっても医者として働いていない人たち それぞれの事情

紆余曲折を経て夢を叶えたが…

 医者は“診る”のが仕事だが、時に“診られる側”に回ることもある。東京都町田市に住むMさん(40代/男性)は、現在休職中。医者の仕事を離れて、すでに5年以上経過している。

 父親が自営業を営み、裕福な家に育ったMさんは、幼い頃から医者になるのが夢だった。成績も優秀で、中学受験では志望する進学校に合格したが、高校に入ると夢がブレ始める。ロックにハマってしまい、バンド活動に熱中。「音楽で食べていきたい」と言い始めたのだ。

 海外留学したいと訴える息子に出した親の折衷案は、「とりあえず大学に行きなさい」というもの。私立の文系学部に進み、卒業する頃には音楽熱も冷めていたが、ここで時代がMさんを翻弄する。Mさんが就職活動をした年は、氷河期の真っ只中だった。

「自分が通っていたのは、私大で偏差値が最上位に位置する大学でしたが、私は就職活動がちっともうまく行かず、落ち込む毎日でした。そこで思い出したのが、医者という道です。両親に相談すると、挑戦を応援してくれるとのことで、医学部受験を決意。学士入学することができ、30代直前で医者になりました」(Mさん)

 紆余曲折はあったものの、幼い頃からの夢を叶えたMさん。それもこれも、恵まれた家庭環境があってこそだが、人生は思うようには進まない。Mさんにはちょっと困った問題があった。

「昔から神経質な面があって、例えばバンドのメンバーのアパートに遊びに行っても、雑魚寝ができないなどの問題があったのですが、医者になってその傾向が一気に強まってしまいました。病院には毎日、多くの人がやって来ますが、中には衛生状態が酷い人もいます。ほんの少しでもそういう人を“イヤだな”と思ってしまう自分がイヤで、結果的に“プシって”しまったんです」(同)

“プシる”とは、医者の業界用語で精神疾患を患ってしまうことを指す。繊細なMさんはうつ病と診断され、現在も静養に努めている。

多才であるがゆえに…

 医者の社会的地位の高さは説明するまでもないが、医者とて人の子。やりたいことが変わった人や、医者をやりながら別のことをやる人はいくらでもいる。

 例えば国会議員の中には、医師免許を持った議員が数多く存在し、自民党、公明党、立憲民主党、共産党のいずれにも“医師免許を持ったセンセイ”がいる。中でもその経歴が注目を集めるのは、自民党の古川俊治氏。古川氏は、慶應大学医学部を卒業して医者になり、30代で司法試験に合格。さらにMBAも取得している。

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