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渋沢栄一と岩崎弥太郎 相容れない両者の競合が日本の近代化を促進した

渋沢栄一の先見の明とは?(時事通信フォト)

渋沢栄一の先見の明とは?(時事通信フォト)

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』が初回視聴率20.0%の好スタートを切った。主人公の渋沢栄一は数多くの企業を興した“日本資本主義の父”として知られる。彼が「明治の大実業家」となってから約150年。そのDNAは今も引き継がれているのか。

 新一万円札の肖像にも選ばれた渋沢は、明治から大正にかけて約500社の起業に関わった。その業種は多岐にわたり、現在も200社ほどが残っている。みずほ銀行や東京電力、アサヒビールなど、日本を代表する企業が多いことも特徴だ。

 渋沢の功績は、当時の日本の発展に不可欠ながら、脆弱だった産業に資金と人材を投入したことだった。渋沢史料館館長の井上潤氏が語る。

「渋沢は投資する事業に公益性があるかを必ず確認する人でした。事業主の利益よりも世の中のため、多くの人々のためになる事業を優先したのです。

 たとえば欧米外遊でパリを訪れた際、市民が活版印刷の新聞で情報を得ているのを見て、帰国後に製紙会社や印刷会社、新聞社の立ち上げに尽力しました。日本の社会に必要な事業を見極める先見の明がありました」

岩崎弥太郎の誘いを拒否

 渋沢としばしば対比されるのが、同時代に生きた三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎である。

「岩崎とは昵懇の仲でしたが、それはあくまでプライベートな話。事業においては考え方が全く違うと渋沢本人が語っています。

 岩崎は渋沢を向島の船宿に誘い、“二人で手を組めば利益をもっと上げられる”と申し入れたが、渋沢は断わった。企業の利益を最優先する岩崎と、社会への還元を重視する渋沢には相容れないものがあったようです」(同前)

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