2人の経営理念の違いが激しい企業戦争に発展したこともある。1880年代、岩崎率いる郵便汽船三菱が日本の海運業を独占していたため、渋沢はそれを阻止しようと共同運輸を立ち上げた。激しい競争の末、両社は共倒れが危惧される事態に。岩崎の死後、両社は合併し日本郵船となった。
國學院大學経済学部の杉山里枝教授が語る。
「ドラッカーの『断絶の時代』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)では、“岩崎弥太郎と渋沢栄一が日本の重要な産業の3分の2を作った”と称賛されています。三菱のような財閥企業と、渋沢が作った非財閥企業が両輪となって日本経済の礎が作られたという指摘です。両者の競合が日本の近代化を促進したことは間違いない」
※週刊ポスト2021年3月12日号