その1人、2018年10月に亡くなった佐藤きよ子さん(享年99)は、大阪・釜ヶ崎でアパートを経営していたが、「食糧の確保と1人3畳の住まい」を公約に、26才の若さで選挙戦に挑んだ。
生前のきよ子さんは、本誌・女性セブンに当時の様子をこう語った。
「選挙資金の1万5000円は自腹で、マイクも自転車もなく、古着のズボン姿で選挙区を練り歩いた。“どこの馬の骨かわからない小娘だけど、釜ヶ崎の人のために頑張る。この気持ち一本で体当たりしています”と訴えると、演説中に聴衆がボロボロと泣きだしたんや」
きよ子さんには選挙母体がなく、「女だから」というだけで妨害や嫌がらせもされたが、結果、全国有数の激戦区において全国最年少で当選を果たした。
しかし1947年の総選挙で、女性議員は39人から15人に激減した。高度成長期に「男は仕事、女は家庭」との価値観が広がったこともあり、その後女性議員の数は増えることなく、1946年の衆院選挙で8.4%だった女性議員の割合はその後、40年以上にわたって数%台に低迷した。
女性の社会進出が進んだ2000年代、ようやく女性の政治参加が進んだかという年もあった。当選者の比率がピークに達したのは、当時の民主党が女性候補を多く擁立し、政権奪取に成功した2009年(11.3%)。衆院選挙で女性の候補者の比率が最高になったのは2017年(17.8%)だった。
それでも国会議員10人に対して1人ちょっとに過ぎない。しかも町村議会では、いまだに女性議員ゼロというところが3割以上もある。民党の議員連盟「女性議員飛躍の会」の共同代表を務める稲田朋美議員(62才)は地方の惨状を認める。
「地方に行けば行くほど男社会になっていき、女性の国会議員は物珍しい存在になります。たとえ能力があり、優秀であっても、地元の地方議会を占有する男性議員と対等な関係を築いていくことは簡単ではないんです。それで結局、『国会議員は、地方議員とうまくやれる男性の方がいい』となってしまいます。
私が地元で開く講演会でも、男性が私の話を聴いているなか、女性はお料理をしている。『来年は男性の皆さんがエプロンをつけてお料理を作り、女性の皆さんは私の話を聴いてくださいね』と言ったことがあるのですが、男性陣はポカーンとしていました。それが地方の現実なのです」
※女性セブン2021年4月8日